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澪つくし倶楽部 「"澪つくしの大阪人"はどこにいる?」2022.07.24

日々何気なく言われる「大阪」とか「大阪人」というワード。

東京の対になる存在、西日本の雄、京阪神の1エリア、京都と共に「上方」を形成する地域、などその地域の捉え方は様々だ。
そして、話をする時「ボケとツッコミ」、「オチ」なるものを意識しようものなら、「うわぁ~、大阪人やわぁ」と若干引き気味かつ呆れ気味に評される。つまり一般的には「キャラの濃い民族」と思われているのだろう。

そのイメージ自体に特段の異論はないが、とはいえ、一言に大阪人と言ってもその中身は結構複雑だ。

少し古い話になるが、タイトル画像に使用しているものは、江戸時代までの大阪エリアのいわゆる国名を表している。
簡単に言うと、かつての「摂津」「河内」「和泉」という三つの国から成り立っているのが、今の大阪だ。ちなみに余談になるけれど、大阪第二の都市である堺は、これら三つの国の境目にある場所にあったため、この地名になったという説が濃厚である。
そして、現在でも「北摂エリア」「河内エリア」「泉州エリア」として、それぞれの地域やそこに住む人々が持つ個性が比較的わかりやすく表現されている。

例えば、摂津の国の系譜を継ぐ「北摂(ほくせつ)」と呼ばれる地域は、大阪府の北部で大阪市より北側の都市(豊中市・吹田市・高槻市など)を主に指し、エリア・人共に比較的「穏やか」と評される。近代以降のエリア形成には関西私鉄の雄である阪急グループの存在も大きく、お隣の兵庫や京都との親和性が非常に高く、一説によると「私たちをいわゆる”大阪人”と一緒にせんといて!」と思う人が多いとか、少ないとか・・・。
雰囲気的に、他地方の人が生活を始めても、比較的馴染みやすい大阪のエリアかと思う。

話を戻そう。
さて、そう考えた時に、今の大阪市、大阪市民の個性・アイデンティティはどこに表現されているのだろう。エリア面積的には、摂津と言えなくもないが、現在の北摂=摂津国と捉えると、大阪市の街の顔、そして大阪市民は、それとはまったく違う個性やルーツを持つ。
大阪市のあるエリアは、江戸時代より「天下の台所」として栄え、明治を経て、大正~昭和初期においては「大大阪(だいおおさか)時代」という言葉に評されるように、日本で一番の勢いと栄華を誇る都市だった。
そんな大阪市という街やそこに暮らす人々の個性だが、実は明確に表現されていない(されなくなってきた)というのが私の個人的な思いとして強くある。

江戸時代を飛び越え、古くは飛鳥時代や奈良時代にまで遡ると、かつて「難波宮(なにわのみや)」が置かれていた場所であったことから、大阪市には「なにわ(浪花・浪速・難波)」という呼び名もあるが、それが大阪市全体を指しているとも言い難い。なんせ大阪市には他にも「船場(せんば)」など、歴史と個性を強く表す地名もあり、大阪市のエリア全体を包含するワードは少ないのだ。
そこで私は、この大阪市があるエリアのことを「澪つくしの國」と呼び、そして、大阪市エリアに住み、暮らしを営んできた人々のことを「澪つくしの民」と呼ぶことにした。
大阪の街・人・モノの魅力を考えるとき、先の三つのエリアと合わせて、「北摂の国」「河内の国」「泉州の国」「澪つくしの國」とカテゴライズして取り上げていくと、大阪の個性というのはより深みや厚みを増していく気がする。

狭い狭い大阪だが、もっと細分化して考えると何が見えるのか。
今、大阪に足りないのは「澪つくし」要素ではないかと私は思うわけだ。
阪急電車に乗れば、北摂の大阪人に出会える。
近鉄電車に乗れば、河内の大阪人に出会える。
南海電車に乗れば、泉州の大阪人に出会える。
さて、「澪つくしの大阪人」はどこにいる?

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