⑦肉体が動くようになるということ。壱

おはようございます。



肉体が動くようになるということについて。



最近はずっと肉体の動きのことばかり考えている。



肉体というと少々生々しいが、自分の思っていることの機微を捉えるとこの表現がしっくりくる。


ある本の中で、身体と肉体は違う、ということを言っていた。最初は「どういうことや?」と思った。身体には精神性が内包されており、肉体は機能体としてのカラダそのものであるということだった。
なるほど、と思い辞書を引いてみると、


身体
-「〔精神の宿るものとしての〕人のからだ」の意の改まった表現
(新明解国語辞典)

とある。では、肉体はというと、

肉体
‐〔精神・霊魂と違って〕生きている人の頭・胸・手足およびその付属部分すべての部位・器官を含めて、一つの総合体と見ての称。
(新明解国語辞典)

とある。

二語感の言葉の定義の違いとしては、たしかに精神性がある。
”健全な精神は、健全な肉体に宿る”という有名な文言があるが、ここでも「身体」ではなく、「肉体」と表現されている。つまり、精神と肉体は切り離して考えることができるということである。
最終的に、僕の解釈は「肉体さえ健全であれば、健全な精神を持つ事ができ、健康な身体を手に入れることができる」というものになった。




いつから身体と向き合うとうになったかを振り返ると、2つのタイミングがあった。



最初は、サッカーの試合で最大限のパフォーマンスを発揮するためには、どうすればいいのかと考え始めた時。
小学2年生から大学までサッカーをやっていた(今も社会人ではやっている)。具体的にどのタイミングだったのかというのはわからないが、高校生くらいから、どうすれば自分の力を最大限に発揮することができるのかというのを考え始めたと思う。それで、身体に目を向け始めた。全体でアップとかダウンでストレッチをしていたが、もともとストレッチとかが好きじゃなかったというかしっかりとストレッチの必要性を理解していなかった。でも、さぼってるとだんだんと身体が固まっていって、思ったように動けなくなったり、疲れが溜まるようになっていって、自然とアップのストレッチと風呂上がりのストレッチをしっかりとするようになった。
いったん意識始めるとけっこう根詰めてやってしまう性癖があるので、大学生の頃には、身体に関するいろんな情報をネットや整骨院の先生から収集しては、片っ端から盲従的に実践していた。

2つ目のタイミングは、おばさん夫婦がヨガに誘ってくれた時。それは4月の初旬くらいだったのだが、1月に会社を辞めて、そこから3カ月間ベッドからほぼ起き上がれず(今となっては起き上がらなかったといった方が正しいな)、自分と人生に絶望していた時だった。僕が未熟で逃げ出してしまった格好で会社を辞めたのだが、その後が悲惨で、自己嫌悪の渦から逃れられず、人生に絶望して、40時間弱ベッドから動けない時もあった。ほんまにこのままじゃ一生引きこもりなって、親のパラサイトになって、人生終わていくんやという危機感があった。今となっては当時の自分にデコピン100万発食わしたい。
そんな時にたまたまおばさん夫婦が「一緒にヨガしいひん?」と声をかけてくれ、それに参加した。もともと身体はめちゃくちゃ硬くて、さらにずっと冬眠ベッド生活をしていたせいで、身体の硬さがもう、尋常じゃなかった。それに改めて絶望するわけやけど、この際ちょっとヨガやってみて、身体柔らかくしたいなと思って、身体と再度向き合うことになった。あと、当時付き合っていた彼女が身体柔らかくて羨しかったのと、О脚で歩き方変やなって言われたのが地味にコンプレックスとしてあった。
呼吸を意識することとか考え方はヴィパッサナー瞑想にとても近いものがあったので、スッと入っていけた。


この2つ目のタイミングがものすごく意味のあるもので、とても大きな転機だった。


おばさま夫婦には本当に感謝したい。有難う。



続きはまた次回。



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