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37. 自分の能力

こんばんは。最近は日中と夜の寒暖差が激しく、体調がやられそうな毎日を送っています。とは言いつつ、最近毎日夜中の5時まで公園で友人とお話しして寝不足になってるので自業自得ではありますね。皆さんはくれぐれも気をつけてください。

今日10/6、僕のとても仲の良い友人が内定を勝ち取り、就職活動を無事に終えました。以前から色々相談に乗らせてもらったり、協力させてもらっていたので非常に嬉しかったです。自分は2月に内定を頂いたのですが、あの時のなんていうか実感の湧かない不思議な気分を想起させられ、僕まで再び内定をもらったような気分になりました。

「就職活動」
これってなんだかんだ幼少期から生きてきた人生の中で初めてくらいに自己表現する場なのかなって思っていて、赤の他人に自分を表現し気に入ってもらえたら合格できる、こう考えるとほぼ運な気がしてきますよね。そんな中、面接とか諸々行っていく上で共通しているのが、その会社に合った「自分の能力」をエピソードや実体験から説明し、アピールすること。紙面であろうと対面であろうと、自分の訴求ポイントを決め、それを経験に裏付けながら説明紹介することに変わりはありません。ではそんな「自分の能力」はどう決まるか。それについて少し話してみます。

結論からお話しすると、

「自分の能力」は周りによって相対的に決まる

と思っています。
理由として、比較対象がいなければ自分の能力を定量的に定めることはできないからです。まぁ当たり前ですよね。例えば、社内にてTOEIC800点が凄いの否かは、周囲のTOEICの点数によって変わりますよね。周りが900点なら英語はこの会社において「できない方」と見なされるし、周りが600点なら「できる方」と周知されます。

ここで何が言いたいかと言うと、定量的な部分で自分を訴求する場合、差別化を図るのがやや難しくなるということです。例えば英語の例だと、いくら英語が定量的にできていても(資格等)、もっとできる人がいたら何の訴求にもならなくなってしまう恐れがあるということです。それでは勿体無いですよね。

そこから僕が最も言いたいことを述べるとすると、

定性で訴求せよ

ってことです。恐らく、世間的には真逆のことを言ってると思います。別に反論したいわけでも、尖りたいわけでもありません。でもこれは本当に思っています。ここでの定性とは、「誰とも比べようがないもの。内面やプロセス」を総じています。資格や最終結果だけを評価せず、もっともっと深くコミュニケーションを取らなければ理解できない定性の部分に耳を傾けてくれる方々が増えて欲しいなと思っています。よりインタラクティブにノンテンションで話すからこそ生まれる人間の「性」の部分。感情がある人間だからこそ、この部分で自分を勝負して欲しいと僕は心から全員に対して思っています。(時と場合によりますがw)

そんなこんなでスタバがそろそろ閉店するので、本日はここら辺で終わりにしようと思います。
おやすみなさいませ。

バイトが2つとも休業になっている影響で現在収入が0の状態です。 マネタイズする気は今のところないですが、僕も人間なので、お小遣いでも頂けると嬉しくてたまらないです😳 よろしくお願いします。