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今の自分の為に、未来の自分の為に。

記憶を辿りながらバンクーバー留学紀を書いてみたのだが、
自分自身とても楽しく行うことができた。
このnoteで書いた記事がそこまで多くの人間に届いていないことはもちろんのことなのだが、僕は、「誰かに見てもらいたい」「誰かに評価されたい」のような気持ちでこの文章を書いているわけではなく、ただ自分自身の為、もう少し言うと、自分を保つ為であり、自分の未来の為に書いているので、僕の中ではそんな小さな一つの作品を作り上げることができたことが嬉しい。そんなとても小さな作品が誰かに何かしらの影響を与えることがもしできたのであればそんなに嬉しいことはないが、まぁそこまで自分が作り上げた作品に期待はしていない。 

創造、いわゆる「クリエイト」するということは、誰かの為や、世の中の為に創りあげるものではないと、僕は思っている。
その作品が結果的に誰かの為や世の中の為になることはあっても、
「創造する」という行為そのもの自体の源は、「自分はこれを表現したい」「自分の為に創りたい」という気持ちに基づいていないといけないと思う。
もしそうでないとするならば、それは「創造」ではなく、「スキル」である。自分の見たもの、聞いたもの、触ったもの、感じたものをどう表現するか。これが、この世に生きる動物の中で唯一人間にだけ許されたことであり、僕はそうしながら最後の日まで生きていきたいと思う。

バンクーバーへ行ったことは僕にとって本当に刺激的で新しい体験になった。それまでとは全く価値観を手に入れ、その価値観のもと生きる自分の人生が全く違う結果を出し続けていることは事実であり、成長し、進化してゆくというのはこういうことをいうのかもしれないとつくづく思う。

僕はなぜかいつも、だいたいの人とは違う行動をとってしまう。
親や友達はそんな僕のことをいつも心配してくれる。そしてときに喧嘩をしてしまう。でも自分の意思というものがどこから来ているのかは僕にも分からないから、「何でそんなことやろうと思うの?」と聞かれても、「やりたいから」としか言えず、納得させれるだけの根拠がないから余計に心配をかけてしまう。そんな自分を責め、だいたいの人と同じような道を歩むことでまわりにいる人間を心配させずにすむと思った時期もあったが、いざそうしてみると、何かモヤモヤしたものが身体の奥に残る。そしてある意味必然的に僕はまたすぐ道をそらしてしまう。誰かに相談なんてことはせずに、一人黙って。相談なんかしてしまうとまた心配をかけてしまう。その姿を僕は見たくない。でも最近はインターネットという素晴らしいものがあり、僕が何をしているのかというのは、電話一本でわかってしまうから、結果的に心配させてしまうのだが、まぁそれはもう僕にはどうしようもできないことだから仕方ないことだとして放置している。メルボルンへ行ったこともそんな心配させてしまう行動の一つなのだが、まぁ人生は何とかなるのだ。
そう思って生きているが、傍から見たらそうは思えないのかもしれない。

話しが少し逸れてしまったが、僕はここで何を書きたかったかというと、
メルボルン留学記も書きたいから、次はそれを書きます。ということだ。
メルボルンには約12ヶ月住んだが、この12ヶ月は留学というような感じではなかったと思う。バンクーバーは、語学学校に通い、ホームステイをして、、、など、ありきたりな留学生活を送ったのだが、メルボルンは何の予定もなく、キャリーバック一個とリュックと一ヶ月分のお金だけを持って行ったので、留学というよりかは、放浪や移住といった言い方が合うのかもしれない。僕はバンクーバー生活で海外に住む経験をしたから、メルボルンに何の予定もなく、必要最低限のものだけで行っても大丈夫だという自信があった。家の借り方は分かるし、銀行口座の開設方法も分かるし、SIMカードの契約もできるし、いざとなれば英語を使って自分の意思を伝えることもできる。人間は経験したことない、先が何も見えないものに対してはひどく
ビビってしまうが、一度経験したことがあることであれば、同じことでもあまりビビらない。結果はどうなるかは分からないが、その少しの自信があるだけではじめの一歩を踏み出すスピードが違う。僕はそんな少しの自信のおかげで、はじめの一歩をすぐに出すことができた。

同じ海外といっても、韓国と日本が全く違うように、カナダとオーストラリアも全く違う国だ。人も違えば、文化も違う。言語は英語だから同じなのだが、カナダ人が話す英語とオーストラリア人が話す英語は、多分、大阪人と東京人が話す日本語以上に違うと思う。だから違う。
そんな全く違う国に行き、どうだったかというと、これがまた自分が思っていた以上の時間になったのだ。

よく、「人生を変えたければ住む場所を変えなさい」と言うが、これはたしかにそうだと僕も思う。住む場所を変えたら出会う人間が変わって、その人間達との関わりの中で、自分が思ってもいないような方向へ人生は進んでいくのだ。僕はこのことをメルボルンで一番感じた。
メルボルンでの生活は、バンクーバーでの生活とは全く違う海外生活になった。もし今、「バンクーバーかメルボルンどちらに住みたいですか?」と聞かれたら、僕は間違いなくメルボルンと言う。街の雰囲気やオーストラリアの文化が僕に合っているかどうかは、正直言うとオーストラリアよりも日本のほうが合っているような気がするのだが、あの街で出会った人間や大自然とともに生きる人生に僕は魅了されてしまった。
良いことばかりが起こったわけではない。悪いこともたくさんあった。
闇も見た。孤独も感じた。自信もなくした。でもそれ以上に、人の温かさを感じた。生き方を学んだ。僕にとって大事なことが見つかった。異文化をより深く知った。友達ができた。海外で生活する日本人夫婦の孤独、頑張り、愛を知った。とてつもなく綺麗な景色を見た。
そんなメルボルンで僕は何をし、何を感じ、どんな人間と出会い、どんなふうに生きたのかをこの場所で共有したいと思う。
冒頭にも書いたが、僕が書いたものが多くの人間に届くことはないと思う。
でもなにかしらの縁で、この僕が書いた文章に出会い、最後まで読んで頂ける人がもしいたとしたら、それはとても嬉しい。
そして未来の自分の為、今の自分の為にもメルボルンでの生活を書くことにする。バンクーバー生活とは全く違う生活になったメルボルンでの生活。
その時間を文章にするとき、僕のテンションはバンクーバーとメルボルンでは全く違ってくる。その違いが文章に現れることを楽しみにしながら、
僕はひたすら書き続けてみたいと思う。

バンクーバー留学記を書いているときも思ったが、僕は頭の中にある記憶というものにアクセスしながら文章を書く。でもふと思うことがある。
本当にこれはあった出来事なのかと。当時の日記や写真から、その出来事があったことは証明できるのかもしれないが、でも本当にその出来事が過去にあったかどうかなんていったい誰に分かるのだろうかとも思う。
よく分からないことを書いていることは自分でも重々承知の上だが、僕は過去という存在がいまいちしっくりこない。本当に、
「本当にあったのかな?」と思う。
でも僕は覚えておきたいことを覚えておくことは得意なほうで、今この瞬間にメルボルンであったことを色々と鮮明に思い出すことができる。
まぁそれと同時に、「これは自分の頭が作り上げた物語であって、思い出すということではないのでは?」とも思うのだが。
そんな、過去の記憶なのか僕の頭が作り上げた物語かどっちか分からないような留学記を書くことにする。

Ryoma

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