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バンクーバー留学記#1 〜彼との出会い〜

僕が初めて日本以外の国に住んだのは、カナダのバンクーバーという街だ。
バンクーバーという街の名前は、たしか冬季オリンピックが開催されたときにテレビのニュースか何かで聞いたことがあった。
でもその街に興味を持ったわけでもなく、僕にとって、
カナダは、「アメリカの上にある国」くらいの感覚でしかなかった。
そんな国に住むことになるなんて、つい半年前までは思ってもいなかった。
しかもそれが、誰かに決められたわけでもなく、自分自身で決めたことであるなんて。「人生とは少し先が見えているようで、その見えているものというのは、ただ自分の頭の中で作り上げた幻想でしかなく、本当は、一瞬先の未来をも見ることができない、複雑で不思議なものなのだ」と、雨がシトシトと降りしきるなか、傘の代わりにレインコートを着る人たちが行き交うロブソンストリートを眺めながら、物思いにふけていた。

バンクーバーに到着してから、もう3日目になる。
僕がバンクーバーに来てからは、まだ晴れの日が1日もない。関西国際空港内にあるユニクロで購入した傘をずっと持ち歩いていたが、
「そろそろ俺も傘をやめて、レインコートに変えようか」と少し思い始めている自分に気づき、「これが外国に馴染むということなのか」と、
自分を客観的に見ているもう一人の自分がそのシーンを見て、憧れの海外生活を体験している自分に気づき、少し興奮した。

バンクーバーの中心、ロブソンストリートとグランビルストリートが交わり合う交差点の角に、カフェがある。僕はそのカフェで、ある人物を待っていた。バンクーバーに来る約半年前、僕はここ、バンクーバーから飛行機で約3時間のところにある、ロサンゼルスにいた。
そこで、ハリウッドという夢の舞台で活躍している日本人俳優と出会い、
彼と話したことによって、僕はこの、落ち着いたアメリカのような国にやってきたのだった。その彼に、「ぜひバンクーバーに着いたら会ってほしい人物がいる」と紹介された人物こそが、今日これから会う人物だった。

注文したコーヒーがそろそろなくなりそうになったとき、目の前から、ベージュのダウンにジーパンという格好で、履いているのはスニーカーではなく、ブーツでもなく、少しお洒落なビーチサンダル、もうすぐ肩にかかりそうなくらいのロン毛をしていて、顔がほとんど見えないくらいのヒゲを貯え、両手にビンのペリエを1本ずつ持った怪しい男が満面の笑みで僕の方へ向かって歩いてくる。
彼こそが、今日僕が会う約束をしている男だった。
彼は僕に、「遅れてごめんね。」と言い、両手に持っているペリエを2本とも僕にくれた。

カフェでもう一度コーヒーを注文し、僕は彼にバンクーバーに来た理由を話した。
僕がその日会った彼は、僕と同じようにワーキングホリデービザでバンクーバーに来た。僕と会ったときには、彼のビザの有効期限は残り3ヶ月になっていたのだが、彼はここに来て9ヶ月で、を叶えていた。

俳優が危険なアクションシーンを行う際に、その危険なシーンを俳優の代わりに演じる、「スタントマン」という仕事がある。日本でもスタントマンという仕事はあるのだが、その存在を知る人間は、映画を観て楽しむ側の人間の中にはほとんどいない。ハリウッドでは、有名俳優であれば必ずその俳優の専属スタントマンがいて、香港の名優ジャッキーチェンを除けば、ほとんどの俳優は、スタントマンとともに一つの役を演じている。

僕が彼と出会ったとき、彼はスタントマンとして、
ハリウッド映画、ドラマの出演を果たし、現在もそのドラマの撮影中であった。そんな彼がバンクーバーに来てまず初めにやっていたことが、ドラマや映画のエキストラ出演だった。アジア人(特に日本人)が少ないこともあり、僕はエキストラの仕事を彼に紹介してもらい、すぐに始めることになった。

彼と一緒に初めて行ったハリウッド映画の撮影現場には、テレビで見たことがある、俳優専用のトレーラーがあり、撮影用のセットを組んだ広大な敷地と、大量の食べ物、飲み物が用意されていた。
セットの端にあるエキストラ専用の休憩室には、100人を超えるエキストラが、楽しそうに会話をしながら、自分たちの出番を待っていた。
迷彩の服に着替え、10分以上持っていられない重さがある、約1メートルの銃を渡され、その銃を持って、僕たちもエキストラ専用の休憩室で待機することになった。

僕たちの目の前にいる、楽しそうに会話をしている人間達を眺めながら、彼は僕に、たくさんの話しをしてくれた。

「あいつはエキストラ現場にいつもいる男で、エキストラの中では自分が一番偉い人物だと思っている。ずっとエキストラばかりをやってると、メインキャストでもないのに、あんなふうにハリウッド俳優も顔負けの大きい態度を取ってしまう人間もいるんだ。自分がどれだけ狭い世界にいるかってことを忘れてしまってね。彼だって元々はハリウッド俳優を目指していただろうし、もしかすると今もハリウッド俳優になる為にエキストラを続けているのかもしれないな。でもお前にはあんなふうになってほしくない。エキストラの給料は安くないから、毎日エキストラ現場に来れば、それだけで食っていける。お前があんな風になりたいなら俺は何も言わないけど、エキストラのトップで満足なんてしたくないだろ。」

どの世界にも、その世界での人間関係がある。そしてその世界での自分の位置というものがある。僕は3人兄弟の長男であり、東京でアルバイトをしていた僕は、そのアルバイト先の従業員であり、俳優養成所に通っていたときの僕は、その学校の生徒であり、今僕がいるこの現場では、この映画のワンシーンを作る為に集められた、何百人いるエキストラの一人なのだ。
そしてそこに少し長くいると、自分と同じようにそこに長く居続けている人間との間に関係性が生まれ、それが、「先輩」であったり、「後輩」であったり、「上司」であったり、「部下」であったり、「友達」や「同僚」であったりする。世の中には何億人もの人間が存在し、その人間達から成る
何万もの学校や会社があり、その中に、クラスや部署というものが存在する。そしてそのたくさんある小さなコミュニティの中にはリーダーがいて、新人がいて、その中で生きる人間は、その中で生きる自分の人生に生きがいを見出し、それを自分の人生と呼んでいる。
このエキストラの現場にいる、エキストラのリーダー的なこの男もまた、
この場所で生きる自分の人生に生きがいを見い出しながら、希望を捨てずに生きているのだ。
どんな世界で生きていようと、たとえそれがどんなに小さい世界だったとしても、その世界で生きる人間の人生が小さいわけではないし、
その小さなコミュニティの中にも複数の人間がいて、その人間達のまわりには、大切な家族や仲間がいる。その家族や仲間達と、喜びや感動、ときには悲しみや苦しみを味わうことは、人間として生きているということであり、そこに大きさなんてものは存在しない。どんな人生であったとしても、自分が生きるその人生に満足できるかどうか、自分で自分の人生を、「良かった。」と思えることが出来るのであれば、その人生は最高の人生を生きたことになるだろう。
僕たちの目の前にいる彼は、どんな夢を持ってこのエキストラの現場に毎日来ているのだろうか。ハリウッド俳優になる夢を諦め、その夢を諦めてしまった自分の心が崩れてしまわないように、少しでも映画の現場を体験できるこの場所に居続けようと決めたのだろうか。

そんなことを考えている間に、僕たちの出番はまわってきた。
指示された内容が理解出来ず、自分だけ違う方向へ走ってしまったり、
隣に立っていたブロンド美女から声をかけてもらったにも関わらず、
ただでさえちょっとしか話せない英語が、緊張でもっと話せなくなってしまった結果、笑顔しか返すことが出来なくてそんな自分を悔やんだりもしたが、無事、人生初のハリウッド映画の仕事を終えることになった。


次の日の朝、スタントマンからメッセージが来た。
「学校終わったら家来なよ。」

「行きます。13時頃になると思います。終わったら連絡しますね。」
と、僕は返信した。

授業が終わり、語学学校の外に出て、彼から送られてきた住所をGoogle マップで調べると、徒歩15分という表示が出た。
彼の自宅は、バンクーバーの中心にあるコンドミニアムの31階だった。
受付が3人もいる広いロビーで、僕は3109を押した。オートロックが解除され、僕は31階へ向かった。
エレベーターまでの道のりからは、ジム、サウナとジャグジー付きのプール、そしてコカコーラの自動販売機と貸パーティールームが見えた。

31階に到着し入った彼の部屋は、
太陽光がたくさん入ってきていてとても明るく、その太陽光を充分なほど浴びている植物たち、何かの思い出がたくさん詰まっていそうな年季の入った家具、ウクレレ、ギターが並び、その空間にはハワイアンミュージックが流れ、テレビの画面には、世界の都市を上空から撮影した、Apple TVのスクリーンセーバーが上映させていた。

「まぁとりあえずコーヒーでも飲みなよ。」

と、彼からもらったコーヒーを、バンクーバーの端まで見えるベランダに置いてある木の椅子に座り、その絶景を眺めながら飲むことにした。僕は自分が想像していたバンクーバー生活とは全く違う時を過ごしていることに気づき、胸が熱くなった。

日本からバンクーバーに向かう飛行機の中で、僕はこれから過ごすであろう自分の生活について、あれこれと想像を膨らませていた。人間は、自分が知っていること以上のものを想像することはできない。僕がこの飛行機で想像できる範囲はせいぜい、ネットで調べたバンクーバー情報と、留学経験者に聞いた体験談から最大限に膨らませることくらいだった。
今僕が見ているものは、僕がここに来るまでに想像していたものを遥かに超えていて、昨日行ったエキストラの現場も、飛行機の中で膨らませていた想像を遥かに超えていた。そして、次の瞬間に何が起こるか全く分からないこのバンクーバー生活を過ごすきっかけとなった、ロサンゼルスで出会ったハリウッド俳優と、その紹介で出会った、今僕の目の前にいるスタントマンに、素直に「ありがとう」を伝えたいと思った。
僕はその気持ちを、ロサンゼルスで出会ったハリウッド俳優の方の分も含めて、

「バンクーバーに来てこんな景色が見れるなんて思ってなかったです。
ありがとうございます。」と言った。すると彼は、

「それは自分の実力だよ。」と僕に言った。

この言葉を聞いたとき、僕はその言葉を理解することができなかった。
でもこの言葉こそ、後になって気づく、僕の目の前にいるこの男の人間性であり、生き様であった。そしてその人間性を隣で感じる日々を過ごす自分は、それまで持っていた自分の価値観を大きく変え、またその大きく変わった価値観をもとに行動する日々も、大きく変わり始めていった。
「明日何が起こるか分からない」という、本来の人生の姿を、頭ではなく、体と心で本当に感じる生活が始まり、彼の部屋に置かれていた、
Do something amazing everyday と書かれた置物が目に入り、僕はその英語の意味を、「毎日何か行動すれば、面白い毎日になる」と理解した。

僕はバンクーバーで見る初めての夕日を眺めながら、「この男について行く」と決めた。そして、Do something amazing everydayな日々が、この日から始まったのだった。

Ryoma 



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