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世界に日本の太鼓文化を発信し続ける御諏訪太鼓伝承者“山本麻琴さん”

諏訪大社(長野県)の太々神楽の伝承である「御諏訪太鼓」を伝承する家に生まれ、現在は太鼓打師として日本全国、そして世界で活躍している山本麻琴さんにお話を伺いました。

山本 麻琴さんプロフィール
出身地:長野県
活動地域:長野県岡谷市を拠点に全国、そして世界の国々
経歴:1981年3月28日生。
諏訪大社の太々神楽を伝承する御諏訪太鼓の家元に生まれ、祖父・御諏訪太鼓宗家・初代 小口大八、父・御諏訪太鼓楽園園長・山本幹夫、母ともに太鼓演奏家という環境で2歳半より太鼓を始める。国内外を巡演しながら育ち、角川映画「天と地と」やNHK大河ドラマ「信長」にも出演。小口大八師・山本幹夫師の両師について太鼓を学び、芸能を継承し伝承活動を続けている。例年2回、元旦とお舟祭りには、諏訪大社太鼓奉納を続けて35年を数える。現在は太鼓製造も自ら手掛けるとともに首都圏での指導や、東京都公開講座の講師もつとめる太鼓界のエキスパート・ジェネラリストである。ソロ奏者としては10代より、5種類の太鼓を組み合わせて打つ大曲「阿修羅」(小口大八作曲)を喜多郎(シンセサイザー奏者)、チ・ブルグット(馬頭琴奏者)、皆川厚一(ガムラン演奏家)らと共演。また、笛・尺八・箏・雅楽・津軽三味線・邦楽囃子・TAP・PIANO・TANGO・アフリカンなど多ジャンルのアーティストらと『音の重なりあう可能性』にこだわった舞台をつくる「和音響鳴」ライブを2009年より催している。
~近年の海外公演~
2009年 米ニューヨーク 2010年米SF・国際太鼓フェスティバル2011年 米ヒューストン/国際交流基金主催カナダ4都市ツアー公演(バンクーバー・カルガリー・オタワ・トロント)/米セントルイス/ベトナム2都市ツアー公演(ハノイ・タイグエン)2012年 ベトナム2都市ツアー公演&ワークショップ(ハノイ・ホイアン)2013年 米セントルイス日本祭/北米西海岸2都市ツアー公演&ワークショップ(バンクーバー、米シアトル)/米SF・国際太鼓フェスティバル45周年公演(ゼルバックホール)2014年8月フィリピンTOKYO EDM INOVESION出演(マニラ・SMX) /2015年 日本大使館主催 東欧ジョージア邦楽公演出演/2016年4月ベトナム世界遺産タンロン城 桜まつり出演(ハノイ)/2017年3月 越日さくらフェス2017in Vietnamツアー公演(ハノイ・ハロン・ハイフォン)/2018年10月 米コロラド太鼓サミット出演&ワークショップ(ボルダー・ベイル)
座右の銘:無念無想一打全魂血と汗と心で打て

「オーケストラスタイルの組太鼓である御諏訪太鼓を日本中、世界中に発信していきたい」

Q.麻琴さんの未来のビジョンを教えてください?
山本 麻琴さん(山本 以下敬称略)
御諏訪太鼓を知らない人にオーケストラスタイルの組太鼓というものが、この諏訪地方・岡谷から始まったんだということを御諏訪太鼓のルーツを含めて発信していきたいですね。そして太鼓の聖地として、この地元、諏訪地方に日本中、世界中から訪れて欲しいです。
こういう地域性のある日本の民俗芸能が現代は薄れていってしまっているので、いろんな人に触れてもらいたい。それを伝えるのが自分の役目なのかなと今は思い始めています。

「太鼓は神様にお願いするための伝心手段」

Q.オーケストラタイプの組太鼓とはどういうものですか?
山本:いろんな種類の太鼓を複数の人で打つ演奏スタイルです。
今やどこの太鼓チームでも当たり前のスタイルですが、原点はここにあります。それぞれの太鼓の役目もあって、この音はこういうことをするという役目がね。また、太鼓の並べ方にも意味があります。そういうことも伝えていきたいので是非学びに来てもらいたいと思います。
僕の祖父であり師匠の小口大八先生から太鼓は神様への伝心手段と教わりました。日本人は古来より、春に作物の実りを祈願し、秋の収穫に感謝をすることを習慣として来ました。自然に対して祈り、敬いそして畏れも抱いていました。神様の中に自分達が住まわせてもらっているという考え方を持っていたんですね。その中で太鼓は神様にお願いするための伝心手段でした。祈りであり感謝をすることが和太鼓を打つということです。そして、この御諏訪太鼓は今も昔も奉納をする太鼓なんです。その思いを常に演奏する時に抱いています。本当の太鼓の文化を残したいし、伝えていきたいと思っていますね。

「太鼓を学びに来てもらって太鼓のお祭りに参加してもらう」

Q.未来のビジョンに向けて実際に取り組まれている活動を教えてください。
山本:Sonetさんがやっている「いきつけの田舎」という田舎に定期的に関わるサービスがあるんですが、そのサービスを使って、御諏訪太鼓を定期的に習いに来てもらって、8月の岡谷市の太鼓まつりに出れるようにしちゃおうという企画をやっています。なかなか都会の人が田舎のお祭りに出るということは、よほど繋がりがないと難しいですが、その繋がりを作っちゃおうという企画です。
今まで太鼓って興味があってもどこでやってるのかわからなかったり、やろうと思っても各地域の太鼓団体に所属しないとできなかったりと気軽に始められる場が少なかったんですよね。こういう「いきつけの田舎」のようなサービスがあると、これがきっかけで諏訪に興味を持ってもらって毎月来たいだとか、もしくは移住したいなんて人も出て来たら万々歳だし。そういう裾野の広げ方をして行きたいと考えています。
また、インバウンド向けにもっと海外の方に御諏訪太鼓と諏訪の魅力を発信できるような企画をして行きたいと思っています。

「御諏訪太鼓を通して、先祖伝来の風習や奉納行事の大切さを伝えていきたい」 

Q.太鼓を通して伝えたいメッセージはどういうものですか?
山本:原点的なところから言うと、僕は諏訪地方の出身ですので、御諏訪太鼓は諏訪地域の豊作祈願をするために諏訪大社に奉納する太鼓であるということをどこへ行っても伝えたいと思っています。私達がどういう民族で、先祖伝来、この土地の氏神様と共にあったということ、奉納するということはそれを守って来ているということを御諏訪太鼓を通して伝えたいと思っています。そして、その太鼓の音色から諏訪がどういう情景で、どういう場所なのかを感じられて、実際に諏訪を訪れてみたい、その場所でもう一度聴いてみたいと思ってもらえたら本望です。

「太鼓は心の栄養になる」

Q.AI時代にどんな美しい時代を創っていきたいと思いますか?
山本:難しいテーマですね。AIについてなのかわかりませんが
最近、IT関連の人がうちの道場に来て太鼓を学んでいるんですが、本当に解き放たれるんですね。日々、頭ですごく考えなきゃならない仕事をしている人ですよ、それが太鼓って考えなくてもいい。無心になれるじゃないですか。あと、体を動かしたり、腹から声を出したりと動物的な感覚ですね。それが戻ってくる。
よく祖父が太鼓は心の栄養になるんだよと言っていました。これから日本は心の栄養失調増えてくるから、それには太鼓が一番効き目があるんだと。今まさにその時代が来たのかなと思います。太鼓はバチで打てば音が出ますからね。こんな単純明快な楽器はないんですよ。子どもも大人もお年寄りも 障がいを持っている方や国籍も関係なく、太鼓は誰でも受け入れてくれる差別しないものなんですよ。そして、太鼓は自分の気持ちがそのまま出る鏡でもあるんです。嬉しい時は嬉しい音が、悲しい時は悲しい音が出る。それによって自分という存在が音とともに外に出てくる。ドレミのような複雑な音は出せないけど、より本質的な思いとかをそのままダイレクトに受け止めて外に音として出してくれる楽器です。だから自分が高校生に教える時も生徒に話すんです。「もっと自分を出しなよ。もっと発信しなよ。」と。それだけ自分の内面を表現できちゃうんです。
なのでAIが出て来て人間ができないような複雑なことをどんどんやってくれるんでしょうけど、それに対して、太鼓はすごく単純明快に、思い切りそのまま自分の思いをドーンってね表現できちゃう。そしてそれを聴いた人にもドーンって思いが伝わってくる。太鼓ってそんな位置付けなんじゃないかなと思っています。

「人生であそこまでのスイッチは無かった」

Q.麻琴さんが御諏訪太鼓を本格的にやろうと思ったのは、どんな認識の変化からなんでしょうか?
山本:自分が御諏訪太鼓を仕事としてやろうと思ったのは26歳の時、父親の死がきっかけでした。
僕はアクセサリーを作る専門学校を卒業していて、松本市で2年半くらいシルバーのアクセサリーのお店で製作者と販売員として働いていたんです。でも、父が病気になって東京の病院に入院することになり、やめることになりました。父が亡くなった時に、勿論、それをまたやることもできたし、知り合いからお金を稼ぐために不動産の仕事に誘われたこともありました。でも、根っこのところには常に太鼓のことがあって、自分はずっと子どもの頃から両親にそれだけ目をかけてもらってきて太鼓を打ってきました。今まではそれに従わなきゃという気持ちだったのが、父の死をきっかけに初めて、父の想いに応えたいという気持ちに変わったんです。それで1年間やってみて、自分の中で太鼓を仕事にするのか、それとも奉納の太鼓だけにするのか、やってみて決着をつけようじゃないかということになったんです。
親が生きてる時はやらなければならないと思っていた太鼓ですが、上からのやらなきゃという感覚ではなく、自分からやるという意識を持ってやってみたんです。そうしたらグッと力が入って、1年間という期間を決めて、公演活動や太鼓教室の指導に熱を入れました。そして、1年やってみた結果、成果がこれだけ出たというよりも、太鼓を打ち続けたい!もうこれをやるだけだ!という気持ちになったんです。そうして1年経った直後に今度は祖父が亡くなったんです。周囲からの後押しもあり、拠点も関東から地元の岡谷に移して、それまでは太鼓の製造は やったことはなかったんですが28歳から太鼓の製造もやるようになったんです。今までは出来上がった太鼓を打っていたのが、太鼓の違う側面も知るようになって太鼓の観方も変わってきて、太鼓の伝え方も変わっていきました。
父と祖父という師匠を相次いで亡くす経験がなければ今の自分はなかったかも知れません。でもやっぱり、その師匠達が生きていてくれたら、もっと聞きたいこと、もっと教えて欲しかったことがあるなぁ。。と。でも気づいた時はもう遅いんですよね。。まあ、そういうものなんでしょう。
今は御諏訪太鼓をこのように仕事としてやっていますが、ここまで来るには生半可な気持ちではなかったですね。そのくらい強いものがなければ人は変わらないのかなと思います。今振り返っても人生であそこまでのスイッチは無かったですね。

「太鼓に限らず、日本の伝統文化に触れて欲しい」

Q.最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
山本:太鼓を聴くのもそうだし、触れる機会を持ってもらえたらと思っています。そして、太鼓に限らず、日本の伝統文化に触れて欲しいです。
日本の文化はいきなり生まれてきてはないですよね。その背景にある、これまでに培われてきた深い歴史があります。この国が天皇制が続いているお陰で受け継がれ守られて、そのDNAが脈々と受け継がれている中で今に行き着いているわけです。そこに誇りを持って欲しいですね。
そして、自分の地元にある伝統文化を周りの人に、「うちの地元にはこういうものがあるんだよ。」と伝えて欲しいんです。人に聞いたことでも良いと思うんです。「昨日ね、こんなこと聞いたんだよ。」と話してみて欲しいですね。そしてそれを海外の人に発信することで、海外の人にも日本の素晴らしさにもっと気付いてもらいたいと思っています。

記者:今日は素晴らしいお話ありがとうございました!

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写真左から口野、目黒、山本麻琴さん、西尾

【編集後記】インタビューの記者を担当した目黒・口野・西尾です。
山本さんの公演を何度か聴かせていただいていますが、その公演で観えるエネルギーの源泉が今回のインタビューで聞くことができた気がします。これからも世界に向けて日本の伝統文化である御諏訪太鼓を発信していって欲しいと思いました。今後の山本さんのご活躍を心から応援いたします!***************************************************************************

この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。


高校美術教師、CM大道具を経て映像ディレクターやカメラマン、記者をしています。人間の認識を変化させる教育技術・nTechのコンテンツ開発に携わり、日本から新しい時代を創るリーダー育成、組織開発をしています。