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サービスが成熟するということは。

サービスが成熟するというのはそういうことだけど、とiPhoneの新モデル発表が近づくと毎年思うわけだ。

見渡して、iPhoneが登場した当時、アプリに対して今のようなリビューを書く人は、世界的はもちろん日本国内にもほとんどいなかった。つまり、あれがダメだ、これが気に入らない、すぐに削除した、ただのクソアプリで、といった類のコメントだ。評価ではなく感想。

iPhoneが登場して間もない頃は、新しいテクノロジーの可能性をどう生かしているから独創的だとか、こういうことができるならあんな応用もできるのではないかといったリビューがほとんどであった。クリック、ジャイロセンサー、タップやスワイプ、シェイク、GPS…。
やっと到来したスマホ文化を、メーカー、ディベロッパー、ユーザーが一体になって、「なんか世の中変わってきたよね」ということを実感しながら、アップデートや斜めいく切り口のアプリの登場を今かと待ちわび胸躍らせた。実験的なアプリが今より多かったから、ただただ扇風機の風向きを考えながら紙クズをカゴに入れるとか、写真の一部がぷるんぷるんと揺れるとか、もうしょうもないアプリがいっぱいあった。
そんなしょうもないアプリの向こうに、未来が透けて見えたのである。

もちろん、iPhoneはビジネスユースを第一に想定して作られたであろうから、当時も今もますます長足の勢いで、タスク管理やらAI搭載やらといった生産性や利便性向上の技術や機能は瞬く間に進歩し続けていることと思う。

しかしサブスクリプションというキャッシュポイントが登場した時、なんとなくディベロッパーとユーザーの建設的な関係は崩れたような気がする。

提供されるアプリはあくまで商品で、なんやかやと、決して安くはない定期購入を強いてくる。それで客も渋々それにお金を払うわけだが、クオリティが見合っていないとみるや、そこがリビューという形での攻撃の的になる。キャッシュポイントが、一転ウィークポイントへと変化するのだ。アプリは知的財産であるし、それは購買をともなうのだから、まぁそうした蜜月の終わり、これは当たり前の話だ。

ただ売った、ただ買ったという関係には、往々にして建設的な意見交換など生まれない。経済性に還元される事柄に付帯するきれいごとなど、しょせんきれいごとである。そこに対立軸ができてしまうというのがひとつの真実であろう。

スマホが夢の小匣から、やがて決して安くはない「日常の消耗品」になった時から、すでにそういう宿命だったのかもしれない。
そして実際、このテクノロジーの粋を、消耗品のレベルまで使い下げてくれることこそ、実は開発者冥利であり、コンセプトやテーマがやっと世界に浸透したということで、してやったりの心境なのかもしれない。

たしかに、ブランドバッグがない家があっても、ティッシュペーパーがないという家はそうそうないのだから。(了)

Photo by Franz26,Pixabay

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