旅情奪回 第22回:日本全国日帰り取材の旅。
どこかで書いたかもしれないが、私には足掛け五年で日本全国の都道府県を日帰り取材した経験がある。かれこれ20年近く前の話である。
あるPR誌の制作を一人で任された駆け出しの頃、その毎月の特集記事が全国の個性ある仕事や場所の取材レポートであった。それこそ、飲食店、販売店、酒蔵、農園、旅館、施設、工場…と、ありとあらゆる面白い仕事を取材して回った。
得意先の都合で同じ都道府県を何度も取材することもあって、やはり全国制覇には五年の歳月を要した。
最初にこの仕事を依頼されたときは、日帰り取材なんてもったいない、第一日帰りでその土地の何がわかるのか、という思いがまずよぎった。しかし、逆にたった数時間でその土地のエッセンスや空気、文化の一端などを持ち帰ることができたら、それはそれで面白いのではないか。そして、慣れてくるうちにそうした情報の吸収の精度も向上するのではないかという、むしろ楽しみな気持ちが勝っていた。すぐに白地図帳を買ってきて、毎月訪れる場所を色鉛筆で塗っていこうと考えた。
そして、毎月一度の日帰り取材がスタートした。インタビューから写真撮影、原稿執筆まですべて自分で手掛けなければならない。日帰りとはいえ遠方も含まれる。話を取れなかった、写真を撮りそびれた、は許されない。毎度が一回性の、緊張感ある仕事であった。
インタビュー原稿を、その場で頭の中で書きながらインタビューするという特技はこの時期自分で気がついた才能だった。また、メモしか取れない状況でも、メモに細かく矢印を書き、うかがった話を脳内で変換しながら原稿を作り上げてしまうこともそうであるし、目の前で原稿を書くのだから、あとで自分で使いたいがその場で必要ないコメントを、鏡文字や、線のように平たく潰した文字でこっそり書き込むなど、色々な技術を自分で考えた。インタビュー相手に失礼のないようタイムキープをするため、ペンを動かしながら時間を確認できる右腕に時計をつけるのが習慣になったのもこの仕事がきっかけだった(事実、日帰り取材とは時間との勝負なのだ)。
加えて、まだ持ち運べるパソコンも、スマートフォンも、デジカメさえもなかった時代であったが、原稿はインタビュー中に出来上がっているので、あとはデータにしておきたい。
いちはやくCompaqのPDAを購入し、帰りの飛行機や新幹線で、原稿を文字化した。PDAはとても便利で思い入れのあるガジェットであったが、その後すぐに淘汰されたのは残念なことで、いまPDAと口にしても知らない人のほうが多かったりする。
googleマップもない。個人的な旅ならばむしろ楽しみでさえある土地勘がない場所での移動は、こうした仕事ではいつも不安の種だった。それにも増して不安だったのは、苦手意識しかなかったカメラである。この話は前にも書いたが、その場で出来を確認できないため、現像するまで生きた心地がしなかった。
日帰り取材がスムーズかそうでないかは、移動手段によっても大きく変わることを知った。地図の上での近い/遠い、はまったくアテにならない。意外な場所への移動が近かったり、遠かったりした。現地滞在時間より移動時間の方が長いこともあった。当時福井県はとても遠い場所だった。
それに、現地の天候など天気予報ではわからないもので、いつでも最小の折りたたみ傘(totesのものがお気に入りだった)を持ち歩く癖がついた。
高知であったか、あるいは徳島に行ったときは、トンネルの入り口では晴天だったのが、これを抜けると雪景色ということもあった。
佐渡ヶ島に渡ったときは、東京を出るときに情報がなく、さんざん迷ったものの相手が現地で待っていたらどうしたものかと思い、新潟に向かったもののフェリーが悪天候のため欠航となっており、高くついたコーヒー一杯を飲んでとんぼ返りしたこともある(勝手な判断で日程を変えることは越権行為と考えたのだ。これは正解で、後にあらためて取材を行った)。
下関では、熱烈な歓迎を受けてしまったばかりに飛行機の時間に乗り遅れそうになり、タクシーに乗って「あの空港行きのバスを追いかけて、追い抜いてください」と頼んだこともあった。
あるいは長崎で、これまた空港と随分離れた場所での取材となり、どうしても帰りのフライトに間に合わないとわかって、大村湾を小さな船で横切って事なきを得たこともあった。あの日、水面を飛ぶあご(トビウオ)たちの群れがとても美しかったことをよく覚えている。
北海道にはたびたび取材に行ったが、プライベートでは実は一度も訪れたことがない。
こんな慌ただしい取材旅行ではあったが、慣れてくるに従って、どこに行っても、その土地の文化や風物の、ある一面ならば十分に感じられるようになった。その土地の文化というのはそこに生きる人たちの人柄ににじみ出るということだ。どの土地の人にも、親切に、温かく迎えていただけたことがこの仕事の喜びだった。
そうして、この仕事をするまで自分がいかに偏った場所しか訪れてこなかったかに気付かされた。そして、それまで一度も訪れたことがなかった都道府県で、これほど素晴らしいところだとは思わなかったと唸らされたのが島根県である。風情ある水の都の佇まいも素晴らしかったが、いざ帰途に就こうという旅の最後に、宍道湖に沈む大きな夕陽を見た瞬間、私の中で、日本で一番美しい景色がここに変わった。あの力強くて、同時に包み込むような橙を、私は一生忘れることがないだろう。このときは、時間を忘れて陽が沈むまでここで頬杖ついてぼうっとしていたいと後ろ髪引かれた。
こうして五年かかって、私の日帰り取材全国制覇は完遂となった。日本全国を旅した人はいるだろう。今ならば、格好のネタとして、バイクや自転車で日本を縦横に旅する人たちもいる。しかし仕事で、しかもすべて日帰りで、という人はあまりいないのではないだろうか。気ままな旅は楽しいが、条件の厳しい旅もまた素晴らしいと知る、私の初期のキャリアの大切な思い出である。(了)
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