思考の健康診断と文芸の記録:iitoco!!アドベントカレンダー2022
※この記事は長野県佐久市を拠点に無店舗展開中のコワーキングiitoco!!主催『iitoco!!アドベントカレンダー2022』に参加しています。
▼序章 思考の健康診断:自己紹介をフックに今年もまた考えたい「ここち良い生き方」
石田諒(いしだりょう)です。
じっくりコトコト煮込みたくて、いちばん締切の遠い最終日にエントリー。
美味しく出来上がったでしょうか。
初めましての方も少なくないはずなので、まずは自己紹介から。
1986年生まれの36歳。出身は東京都世田谷区。
2016年4月に東京都文京区から長野県佐久市に拠点を移しました。現在は佐久市内の里山で妻・中井伶美と、3匹の猫とともに暮らしています。
早いもので、佐久の凍みる冬も7回目。ついこの前まで新人移住者だと思っていたら、いつのまにやらベテランの域に片足突っ込んでいました。
里山生活のドタバタ記録は以下の記事にもまとめてあります。
信州に拠点を移してからの生活はけっこう目まぐるしく。市役所や関連行政機関、民間NPO、大学法人、任意団体、などに勤務・所属し「地域活性」やら「まちづくり」やら「ソーシャルイノベーション」やら、そういったキーワードで動き回る箱庭に約5年、いました。
「公民連携エージェント」と銘打った株式会社を知人らと設立し、代表取締役なんかやっていた時期もあります。雰囲気に演出された「ガンガンいこうぜ!」の気構えで、良くも悪くも「何でも屋」でした。
新天地で仕事は途切れないものの、それらすべてのアレコレは自分にとってココロにもカラダにも、強烈に無理をしなければできないことばかり。
重ねて悲劇的だったのは、自ら選んで進んだ道のその先に「叶えたいこと」や「到達したい領域」が何も見えてこない現実に、思いきり気づいてしまったことでした。
いつからか「あれ?俺、これ、なんでやってるんだろう?ただ忙しいだけで進行方向に何もないぞ?」と、息も切れ。
そんなこんなで2019年から2020年にかけてが思考や行動の転機となりまして。すっかり辞めてスッキリさせたのち、興味のあること、得意なこと、関わっていてワクワクすることに熱量を注いでいく「ここち良い生き方」のスタイルに切り替え、現在に至ります。
さてさて、iitoco!!アドベントカレンダーには6年連続の参加。毎年、1年間の振り返りとして、現在地の点検確認として、思考の健康診断として。大好きなんですこの企画。去りゆく2022年、3つの章でまとめましょう。
▼第1章 作家・詩人を目指して文芸創作と身辺文化環境整備を本格化
2022年、何をして過ごしていたか。結論から申しますと。
現代詩と小説と随筆をひたすら書き、あちこちの文学賞に応募していた。
以上でございまァす!(「サザエでございまァす!」風に)
この活動の理由と原動力はなんなのか。それは、長年抱いている「プロの作家や詩人になって、自分の人生を自在に操縦してみたいから」という一心にほかなりません。
もう少し噛み砕けば「プロの作家や詩人になることでしか行けない場所、出会えない人、関れない仕事に興味がある。総じて、その先の世界で何が起こるのか、起こせるのか、覗くだけでなく、実際に入り込んで舞い踊ってみたい」という強い想いです。
佐久市に来てから環境がガラリと変わり、それまでやったことのないさまざまな表現活動にチャレンジする機会に恵まれました。ひとつは演劇、合唱、ダンスをはじめとする舞台芸術の分野。もうひとつはラジオDJ、テレビCMや映画への出演、といった放送芸術の分野、と。
実際にやってみてわかったのは、それらは別の誰かとのウソつけないほど物理的で、エグいほど直接的な関係性が非常に重要となる表現活動だ、ということでした。
要は団体競技なんですよね。特に演劇、ありゃ相当にムズい。
かなりのエネルギーを要した寄り道の結果、やっぱり個人ベースでの文芸創作がいちばん自分に合っていると確認できました。良い経験でした。
2022年は人生で最も文芸創作に向き合った1年間でした。作品を書いて応募した文学賞だけでも、こんな感じ。
県内外、現代詩8賞・小説4賞、随筆3賞。ほか、詩雑誌への投稿を随時。
いまの自分にできる全力を尽くしました。極論、文章を書いているか、本を読んでいるか、の2択で過ごした1年間でした。
仕事の合間をぬい、作品を書くための取材として神奈川県の真鶴、北陸の海岸、宮城県仙台市〜栗原市へそれぞれ旅にも出ました。
「作品、読みたい!」と声をかけてくれる方も多く、うれしいです。
しかしながら作品の扱いというのは特別で、なかなかに気を使うものです。日々のSNSの文章のようには簡単にシェアできないんです。
自費出版という手で広める方法もありますが、ちょっと待って欲しい。いまは時間があれば少しでも多く新作を書きたい踊り場なんです。まとめる方向に関して、いまはとっても気が散漫でして。
▶︎作家デビューとはどういう状態か
さて、プロの作家や詩人になるには主に5つの方法があります。
しかし冷静に現実的な話として、純文学の世界で有効なルートは1のみ。3や4のルートが最先端っぽいと思いきや、純文学では1、一択。
5も楽しそうなんですが、別のハードルが高すぎます。
自分が志している純文学作家になる場合は『純文学系五大文芸誌』(『文學界』『新潮』『群像』『すばる』『文藝』)に未発表の新作を応募し、新人賞を獲得しなければなりません。
大衆文学と純文学の大まかな違いについては以下を参考に。
新人賞作品は、原稿用紙換算で70枚から200枚、というのが平均的な規定です。受賞の際には単行本化されるため、出版のために必要な最低枚数、ということです。慣れていない人は、規定枚数をクリアしつつ作品を完結させることが、まずそもそもの大きなハードルですね。
それでいてメジャーな新人賞ともなれば、毎回数百〜数千の作品が応募されてくる狭き門。そのなかから受賞してデビューできるのはひとつの賞に対して毎年たったの1人か2人。ときには「該当作品なし」の場合もあります。
参考までに、河出書房新社の文藝賞、直近の第59回は2,376作の応募があったそう。
一方、現代詩の場合は『現代詩手帖』や『ユリイカ』をはじめとするメジャー詩誌、また近年では『ココア共和国』などの投稿ページに安定して掲載され続けることでしか、新人賞の席はありません。
新人賞受賞を経てようやく私家版ではなくメジャー出版社から詩集を出せる確立が高まります。
そこまでいってようやく、プロの詩人としてのスタート地点。
現代詩の世界でキャリアを積むには、新人賞を経てからの詩集を評価軸とした、次の段階の文学賞受賞が必須となります。
詩の場合は、言うならばラジオ番組におけるハガキ職人と似たような文化ですね。深夜ラジオの常連投稿者がいつのまに放送作家になっていたり。
と、書いてみるとけっこう険しい道のり。しかしながら、自分にはいずれそれが実現可能であるとしか思えないのです。
いま、過去イチで迷いのない状態といえます。
結局、何をやるにしても、その道を極めようとすれば厳しさはつきまとうことでしょう。それならば、本当に自分がやりたいこと、やっていて楽しいこと、苦労を苦労と感じにくいことに打ち込んでみるのが好循環の秘訣ですよね。
小説でも現代詩でも、新人賞を受賞するタイミングは高校生から70代まで本当に人それぞれ、何が起こるかわかりません。ただひとつ確実なのは、起こるかどうかはすべて自分にかかっている、ということです。
作品を書いて送っても99%は評価されません。しかし、作品を書かないまま、何もしない状態であれば評価される確率はまったくの0%。
ほら、ごらん。やるべきことは、ものすごーくシンプル。
ただ、この何年ものあいだ、そのシンプルな行為になかなか集中できずモヤモヤしていました。恥ずかしながら自分の場合、自己の軸をまったく無視したカタチでの地方移住だったので、あまりにもその衝撃が大きすぎたのだと思います。
創作的な文章を書くどころか、本を読む気力体力さえ残らない日々はあまりにも悲しかったです…。
文芸創作も視点を変えれば立派な運動競技。まずはブランクを受け止め、心身ともにあらてめての基礎体力づくりが大事、と考えます。
運動不足の状態でいきなりフルマラソンを走ったり、いきなり富士山の頂上を目指したりすることが無謀であるのと同じです。
そのためのワークアウトが、先に書いた文芸賞マラソンの一覧となります。書くことができそうな賞や、身近な賞に挑み、段階的に体力と技術を上げていく作戦です。たとえささやかでも、成功体験の積み重ねが大事だと思うわけで。
今年に関しては、現代詩にかなりの手応えを感じました。自分の文芸創作の原点が、高校時代に書き始めた詩のような断片の数々だからでしょうか。
小説はまだチューニングが合ってないようで、積極的なブラッシュアップが必須です。純文学よりもショートショートや半現実の世界観のほうが、書き手としても真っ向から楽しめるのかもしれません。来年はそのあたりのバランスを見極めたいです。
随筆に関してはそもそも向いてないという直感がはたらいたので、今後は賞レースに乗せる方向で書くことはないと思います。(コラムの仕事などあれば、お受けします!)
▶︎抗えぬ時の流れと、諸先輩方から学ぶ人生の開拓方法
あのですね、なんというか、その。人生って短いな、という漠然とした事実がですね。少しずつ、でも確実に、輪郭を濃くしてくるのがわかるんです。
今年、36歳になりまして30代も後半戦、人生がまたちょっと別のステージに入った気がするんです。
なので、というのは短絡的すぎかもしれませんが。やりたいこと、興味のある分野、叶えたい夢のため、もっともっとエネルギーを注がなくてはいけない、と。500万回目のあらためて、強く、思ったんです。
うっかりしていたらもう、時間が足りなくなるかもしれない。
おそろしいことです。先述の通り佐久に来てからの最初の5年間は、ただの仕事や生活に追われてしまいました。創作活動に向き合うことがあまりにも難しい沈黙の時代でした。
いまそれを超えて、ようやく打ち込める心身と時流になったんです。やらなくてどうする!
佐久に来てから出会った男性の諸先輩方の姿を見ていると「本業をはみ出す、あるいは延長拡大してそれぞれ何かのスタートアップに向かった」のが、だいたい35歳前後から30代の後半あたりなんですよね。
個人的に、特に印象の強い方々をボヤ〜っとあげます。
かっこいいですね。出会いの時期的に同期感のある以下の3名も、本業とは別方向でそれぞれにチャレンジャーで、刺激をもらっています。
一応フォローしておきますと、お名前が挙がってないからといって見ていない訳ではありません…!あらゆる方面で頑張ってる方はたくさんいますし、ちゃんと知っています。悪しからず。
「作家になる、詩人になる」というのは、外野からはもしかすると突拍子もない考えに映るかもしれません。でも、それは違います。
いま自分が熱狂している行動や思考は、自分がこの7年間でiitoco!!のコワーキングに触れ、身近な方々に刺激を受けたからこそ、自信と自覚を持って進める道のりなのです。
ありがとうiitoco!!
▶︎今年の成果とローカルで文芸創作をやることのココロ
忘れちゃいけない!2022年の成果は、第62回上田市短詩型文学祭・詩部門での教育委員会賞受賞です。
上田市短詩型文学祭に関しては、おととし第60回で市長賞(大賞)をいただきました。その際は授賞式が中止だったので、ようやくステージに登っての晴れの舞台、という感慨でした。早よ、もとに戻れ世の中。
これを書いている12月中旬〜下旬時点で審査結果がわかっているのは応募した半分ほど。年明けからもつぎつぎと結果がわかっていきます。
それらの結果や書き味の自己反省をふまえ、2023年も文学賞への応募を続けます。聞いた話によれば、大抵のことは成功するまでやり続けることで成功に至るそうなので。
あわせて、日々なるべく文芸方面の空気に触れ続けるための努力として、公私で以下のような要素に関わりを持ちました。
佐久詩話の会の講師でもある詩人・作田教子さんのご紹介で入会した長野県詩人協会。創設から60年以上の歴史をもつ団体です。
歴史的をひもとくと、過去には県内の文芸文化水準向上に大きく寄与した方々も在籍していたそうです。現在は長野県ゆかりの詩人ら、40名程度で構成されています。
県詩集55号発行にあたり新作詩を書きました。こちらは長野県内の各図書館に置かれています。佐久市では中央図書館の郷土図書のコーナーに所蔵されているようです。
他にも、詩人の伊藤比呂美さんによる現代詩の連続講座。大学生がつくる詩人団体の朗読ライブ。美術館での連詩イベント。各地の文学館での祭典などで首都圏に通うことが増えてきました。
あらためて、佐久が東京に近くて良かった、と感じています。
この章の最後に紹介したいのは、群馬県在住の芥川賞作家・絲山秋子(いとやまあきこ)さんのこと。
近年の絲山さんの小説作品には、地方自治体/ローカルで生きる人々のリアルな日常が描かれています。
いくつかの作品に佐久市の近隣も描かれおり、2011年の『末裔』の終盤には国道254号線の下仁田から平賀のあたりが登場。2015年の『薄情』では群馬県高崎エリアを中心として、嬬恋や佐久が登場。あの冬の、あの大雪、のことも克明に描写されています。
現在、雑誌・文學界で不定期連載中の通称『黒蟹県シリーズ』は、架空の県・黒蟹県を舞台にしたオムニバス群像劇。田舎あるあるが満載で、きっと佐久に住むみなさんにも、すんなりと受け入れられると思います。単行本化が待ち遠しいです。
圧倒的な手触り感をもって、地方自治体/ローカルの風景を描写し、そこで生きる人々の生活ディティールを描き切ることにおいて、絲山秋子さんの右に出る作家は現時点では存在しないとすら感じます。
2022年はイベントとサイン会で2度、絲山さんと直接お話しする機会がありました。いずれは作家同士として、じっくり対談できる日を夢見て。
そんなわけで自分の移住体験も、創作の世界で大いに役立つことでしょう。
▼第2章 身体の不調とリハビリ連鎖
こんな情けない話をしたくはないのですが、あきらかに去年までとは違うことになったもので書かずにはいられません。
どういうわけか身体のあちこちが悲鳴をあげています。
困りましたね。万が一、健康を損ねたら何もできなくなっちゃいますもの。妙なのは、症状が出るのが左側ばっかりなところ、身体のバランスや癖のせいでしょうか。
いままで病院にかかったことがほぼ無い健康体(?) なので、股関節の件で人生初のリハビリとなったときは本当にヘコみました。毎週病院に通い、自宅でも宿題をこなすってなかなかのイベントですよ。現在進行形。
スーパーやなんかへ買い物に行ったりなんかすると、足の不自由そうな高齢者が杖をつきつき、ゆっくりゆっくり歩いてカートを押している姿を見かけることがありますよね。
なんだか将来、自分もああなってしまうんじゃないかと恐怖を感じました。クルマ社会の土地に移り住んで、自力で歩く機会が大幅に減ったことの弊害が出たんじゃないだろうかとも思いました。
パーソナルトレーナーの方いわく、もとから筋肉や関節がすごーく硬いことが大まかな原因のひとつのようです。硬いから動かず、動かないからさらに硬くなる、の悪循環。
「ちょっと運動でもして身体動かすか〜」という行為が逆に身体に悪影響、みたいな状態に陥っています。過去に旅先で、古いマッサージチェアに座って筋肉が裂傷したことがあります。いまになって納得、硬いんだ、筋肉が。
日常的なストレッチ必須、とのことで。がんばるぞ。
自分の身体なのに自分の思い通りに動かせないというのはストレスが溜まります。違った意味のワガママボディなう。
あれ?文芸作品の執筆って、ぜんぜん身体動かさないからダメじゃん!?
▼第3章 これからやること・やりたいこと
羅列してみよう。直近の予定から、いつ実現するかわからない妄想まで。
こんな感じでしょうか。笑 いっこいっこ、叶えていこう。
終わりはあっさりと、それではそれでは、また来年!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
▼あとがき?
オマケとして。
今年残した、文芸創作についての端書きなど、参考に貼っておきますね。
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