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今回つむぐ物語は無意識下での「都会」への距離感や郷愁や羨望をはかる計測装置かもしれず

最後に小説を書いたのが2015年の下半期だから、実に6年とか7年とかそのくらいぶりの執筆だと思う。
そう考えると2016年の春に東京を離れ長野に拠点を移してからようやく、本来の自分のペースに落ち着けたのかもしれない。
当然、犠牲になるものも少なくはないけれど、ここまでいろんな意味で無理して、忙しくなりすぎた。
そんなに器用じゃない自分を俯瞰して上ったり下がったりする。

創作にあたってのテーマというのか、関心の高い構造は当時と変わらず都会を舞台とした「会社」だったり「職場」だったり、そこでの人間関係や「残る人/去る人」についての機微だったりする。
同じ電車に乗ることがわかってる同僚と退勤時にビルのエントランスで「あっ、僕ちょっと、きょうこっちなんで」とか、交流を避けて時間差で帰る感じとか、すごく好物なシーン。
あのとき回転ドアのガラスにくるくる反射した何人もの自分は内面の象徴だったかもしれない。

写像ってなんすか?(ひろゆき)

SNS、特にTwitterやInstagramストーリーに吐き出される言葉は創作の世界にいきいきとしたものを与えてくれると思う。
都会で働いている友人らのアカウントありがとう、会社員の律動や悲哀を抽象化して参考にさせてもらうよ。

先日、東京へ取材に行ったときは、オフィス街に立って道ゆく人たちが話す言葉をできるだけメモした。
都会ならではの吸収、佐久じゃそんなことできない、人が歩いてないんだもの。

書き手の生活環境や精神状態が作品に与える影響は大きくて、前回と今回でまったく異なっているのは自分自身が都会から地方への「移住」を経験したという大事件で。
今回つむぐ物語は、無意識下での「都会」への距離感や郷愁や羨望ををはかる計測装置かもしれず、どうなるやら。

さてと。
登場人物たちが勝手に動き出し、しゃべり、予期せぬ行動をし始める瞬間はまだ訪れていないけれど、ここからが楽しみ。
あまりに未知すぎて不安だけど、すごく楽しい時間。

しばらくは「書く」モードになっているので、他のことが手につかないかもしれませんが、あたたかな心でご観察くださいマモー。

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