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いきなりフルマラソンは走れないので、段階的戦略で。

信州佐久暮らしは7年目に入りました。
それは同時に、FBを中心とした猛烈SNS垂れ流し&張り付きがスタートしてから7年目を迎えたということでもあり。
自他ともに本当にたくさんのことを始めて、同じようにたくさんのことを終わらせていった時間だったんじゃないかと感じています。

地域的な事象での印象深い出来事をあげるなら『2019年10月の台風19号災害』と『2019年4月 大日向/2020年4月 風越 それぞれ学校創立』ですね。
どちらにも、抗えない無力感のようなものを強く覚えました。
それは双方、まちに決壊を生じさせ、広がった流体がもたらした影響と変革であったと考察します。
いい転機でした。
(あえてもうひとつ挙げるとしたら『2021年4月の市長選・市議選 どちらも無投票で決着』でしょうか)

長く過ごせばいろいろあり。
この人はずっとこの地域に根付いて存在しているんだろうな、と漠然と勝手に認識していた人が何人もポーンと遠い土地に引っ越していったり。
この店・場所・企業・サービスはずっと存在し続いていくんだろうな、と漠然と利用していたそれらがスーッと無くなってしまったり。

僕はそういう事例に触れると、もちろんさみしさは芽生えますが、正直なところやっぱりどこか安心します。
変化していいんだ、やりたいことをやり続けていいんだ、逆にやめちゃってもいいんだ。
という、わかっているけどついつい遠慮してしまうようなアレコレに関してその都度、前向きな気づきを与えてくれます。
東京から引っ越してきた直後に一定のジャンルから投げかけられまくった「君はこの土地に骨を埋める覚悟があるの問題」で喧喧諤諤やっていた身からすれば、語弊バリバリですが「いなくなる、終わっていく」ような出来事について、こんなに心強いことはないと考えています。
(その判断をした人たちの勇気などにも拍手)
何事も、永久に続くことってないよな、と。

そういった意味では(?)ミナ ペルホネンの皆川明さんが標榜する「せめて100年続くブランドに」という言葉は、すごく優しくて狂気じみていて尊敬に値すると思ったりします。
▼ ミナ ペルホネン/皆川明 つづく | minä perhonen / minagawa akira TSUZUKU
https://mina-tsuzuku.jp/

2022年。
小説や詩を書いたり読んだりしている時間は上位有意義なことで、なにより自らの未来を切り開けるようなイメージを持っています。
かつては地域のイベントごとに積極的に出向いていた身ですが、もはや手のひらを返したように引きこもりです。
でもこれが本来の自分の振れ幅。
時間は有限であることにあらためて焦りがあるのも言わずもがなでございます。
特段に新しく始めたことでなく、もともとやっていたことにただ、回帰する。
長い寄り道の結果ぐるっとして、以前より高い位置の同軸に着いているような実感もあります。

創作につながるあらゆる事柄についてキャッチして、考えているだけでもまったく飽きません。
もちろん、写真や映像もスイッチ切り替えながら同時並行で。
いきなりフルマラソンは走れないので、段階的戦略で。

個人的に共感ポイントの多かった対談を紹介しときます。
▼【落合陽一】綿矢りさと考える「2030年の文学」 デビュー20周年、S N S、子育てと執筆、コロナと文学について語る。
https://youtu.be/eTWBmSu9ld8

落合陽一さん1987年生まれ、綿矢りささん1984年生まれ、自分1986年生まれ。
同世代の感覚という点でも魅力的な回でした。
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(といいつつ今年度から退会した人)

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