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詩を書くなんてひとりでできるし、ひとりでやることををわざわざ団体としてやる意味はなんだろう。

建て替え中の佐久市・野沢会館を眺めては、羽田圭介さんの小説『スクラップ・アンド・ビルド』のことを考える。
付随して、建築物の遺影は撮られるべきだろうか、とも。

公民館学習グループの登録書類にある講師のプロフィール記入欄、年齢の選択肢が「50代」以降しか無いことに何か決定的な分断を感じ取りながら冬を越す。

春より「佐久詩話の会」の代表となる自分。
80代の現代表から引き継ぎ、実に半世紀ぶん若返るというオカルト。
詩を書くなんてひとりでできるし、ひとりでやることををわざわざ団体としてやる意味はなんだろう。
きっと意味はないが意味もなく考えたい。

随筆を書き終え応募を済ませ、新たな小説の準備を進め、並行して現代詩手帖に原稿を送った。
受賞や掲載がなされたらうれしいと思うし、そもそも前向きにされる前提で送っているのである。
取材のために東京に出向きたいことが後ろめたく感じられる非日常日常事態は異常でしかない。

あえて打算的すぎる視点で発言していくならば、まちづくりや地域振興に関わるよりも、本来関心が高い文章や詩を紡いでいるほうが母数の観点で豊かさを感じられるポジションをとれる可能性が遥かに有利であるような気がしている。
やってみて実感したことは、ソーシャルグッドも因数分解すれば周辺や他者との競争行為でしかないということ。
さらに言えばそれはどんどん加熱加速してるということ。
僕はその業界や世界では楽しみを見つけられなかったし、続けれないな、と思ったということ。
それぞれが使命や喜びを感じることを、それぞれががやればいいということ。
ついしつこく書いてしまうほどに。

なにをするにもどれもこれも、ある種の作戦であったり、自分がどうなりたいかの確認作業の先にあるアレコレがいやらしく必須なのだと再発信しておきたい。

大学生時代に存在を知り、興味を傾けた哲学者ウィトゲンシュタインに再び触れるため図書館で『論理哲学論考』を借りようとしたところ貸出中であった。
TSUTAYAでアベンジャーズシリーズが貸出中であることとは違うワクワクを得た。
予約を経て無事に手元にきた岩波文庫はやはり難解でおもしろい。
理解し難いが部分的にわかりそうになる瞬間ががとても良い。

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」
短いがとても強い言葉だと感じる。

目下、本を執筆中の友人を応援したい。
そこに書かれるテーマにも浸りたい。

これまでになくゆったりとした有意義な時間を過ごしている昨今。
めぐる思考はさまざまながら、やはり変わらずあるのは「なんのフォローもできないくらい本当に無駄にした高校3年間の時間を人生単位でどう取り戻すか」と「子どもの頃に勉強しなかった・できなかった自分の原因と理由はいったいなんなのか」という2点であった。
30代も後半戦となっていまだそのあたりの納得感が得られてこないことに驚きと感動を隠せない。
創作意欲や扱うテーマとしてはかなりの有効度ではあるけれど。

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▼羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』あらすじ
 
主人公の健斗(28歳)は、新卒で入社した会社を退職し、資格試験の勉強をしながら就職活動をする傍ら、母親とともに同居している87歳で要介護でありながらまだまだ健康体の祖父の介護をしており、「早う死にたか」と毎日呟く祖父に対して母親とともに祖父に対してストレスを感じていた。そこで、健斗は敢えて過剰に世話を焼いたり、日々筋力を鍛えたりすることで祖父を弱らせようと考える。そうして彼女とも交際しながら、介護と就職活動の日々を送る無職の青年の目から「死への希望」と「生への執着」を同時に持つ祖父の姿を描いている。
(Wikipediaより)

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