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No.16 愛は不変、恋は可変、人間は従属変数。 ダブルブッキング/結局、運次第/最強のふたり/プライベート・ライアン/トップガン/ビバリーヒルズコップ2

*雑念日記(大学生の)
ー 愛/ダブルブッキング/デフレ/結局、運次第
*今週の読書
ー お休み。。😴
*今週の映画
ー 最強のふたり/プライベート・ライアン/トップガン/ビバリーヒルズコップ2
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)

♦愛は不変であると考える。しかし、愛を感じる対象が1つとは限らない。愛という感情は誰に抱いたとしても同じ性質を持つと思うが、家族や友人、恋人など複数人に対して抱きうる感情だからだ。よって、例えば恋人同士の会話で「私と友人、どっちの方を愛しているの?」という問いは不問である。どちらも愛しているのであって、その感情に優劣をつけることはできないからである。ただ、愛を感じる相手は非常に数少ない存在であるため、そもそも上記の問いが成立する可能性は低いかもしれない。愛は双方向のやり取りがあって初めて成り立つ。また、恋の様な即効性は無く、日本庭園の様なまったりとしたスピード感で維持されていく。100年以上という長い年月を経て支持を得ている三ツ矢サイダーのようであって、タピオカミルクティーのようではないのである。

変わるのは愛じゃない。人間の嗜好、つまり愛を抱く人間の側である。そして、それに一役かっているのが恋である。恋は可変である。愛を危機に陥れてしまうのも恋である。傍から見ると愛と恋を区別するのは難しい。そのため誤解が生じてしまう。誤解が人間の側を変化させ、愛を追放してしまうのである。


♦友人がトリプルブッキングをしている様を見ていた時、どうしてそんなことになるんだろうか??と思っていたのだが、まさか自分もダブルブッキングをしてしまっていたとは。。

講義と実験参加。この2つをダブルブッキング。友人との食事×2のトリプルブッキングと比べると明らかに危険度が高い組み合わせ。どちらも外せない。

そして、その事に気づいたのは実験参加のリマインドメール、いや正確に言うと僕が集合の予定を忘れていたため「大丈夫ですか?」という確認メールが来た時。血の気が引くとは、このことを言うんだな。全速力で今やっていた作業を辞め、足早に階段を駆け下りる。電話を入れる。

肝心の講義はというと、偶然にも休講だった。こんな偶然があるのか。。と疑いつつ、感動もした。絶対に外せない2つの予定がまさか、幸運にも急行のおかげで万事休すとは。

その講義はとても楽しみにしていたので、休講情報を聞いた時は落胆したんだが、今だけはホッとしている。しかも、その休講情報が出たのは講義が始まる20分前。偶然にもほどがある。。

しかし、ダブルブッキングは良くないな。予定の管理がなおざりになってきているから、ちょっとやり方変えようかな。ついにGoogleカレンダーを使う時が来るのか。。😂😂


♦もうちょっと、この現実に目を向けるべきでは。。?

iPhoneで日本と海外の物価の違いを測るのは有名だけど、ビッグマックも使えるなんて。。そっちの方がわかりやすいな。

”世界の物価水準を比較する際に使われる「ビッグマック」の価格だけを見ても、日本の物価は著しく低い。1990年370円だった日本のビックマックの価格は現在390円だ。30年間ほとんど上がらなかった。一方、この30年で米国のビックマック価格は2.2ドルから5.66ドルへと2.5倍、中国は8.5元から22.4元へと2.6倍値上がりした。”

材料費とかが高騰してるはずなのに、ビッグマックの値段が変わっていないとすると、削られているのはやはり人件費となるんだろう。まさに負のループに陥ってるな。


♦体をサイボーグ化していくと、便利な反面、ハッキングされると積みやな。😂


https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/11/post-13406.php


一気に加速する人間のサイボーグ化。この波にほとんどの人は乗れていない。それが怖い。

脳波を読み取る機械を脳に被せるだけで、AIが脳波を学習して、考えるだけでスクリーン上に意図したアウトプットを送ることができる技術も登場。


♦大学生活は人生の夏休みという言葉を昔聴いたことがあるんだけど、全然そんな感じがしない。僕の性格が内向的だからなのか、あんまり外に遊びに行くということは無いし、遠出もしないし、どちらかというと家で映画を見たり、本読んだり、どうでも良いこと調べてたりする方が楽しい。だからか、全然夏休み感がしない。

高校までの夏休みは、かなり怠惰な生活を送っていたし、運動部に入っていたので休みという休みは無かったし、、それと比べると今も昔もあんまり忙しさは変わらない。むしろ、今の方が時間が無いように感じてしまう。

そもそも、僕は大学生活を人生の夏休みにしたくないという意思を持っている。仮に大学生活を夏休みとして設定してしまうと、確かにその期間は充実しすぎてるくらい充実するかもしれない。けど、その後は長い長い2学期の後、ほんのちょっとの冬休みを挟んで気が付くと一年の終わりが来ている。それは嫌だ。と直感的に思う。

それなら大学生活はある程度は楽しみつつも、気を緩めすぎないように過ごして、毎日が夏休みの様な働き方をできる。そっちの方が良い。とか、今から考えていても、職場に働き方を強いられると元も子もないので、いわゆる就職活動的なものをする際には、僕が企業に選ばれるのではなくて、僕が企業を選ぶ側の立場に何とかして回りたい。


成功できるかできないかは運次第。努力できるかどうかは遺伝子次第。自分ができたからと言って他人ができるという考えは愚かで、自分を棚上げしてはいけない。それは、運が良かったから、遺伝子が良かったからに過ぎない。。

アメリカはいまだに、努力すれば報われるというアメリカンドリーム的な幻想を抱いているらしい?だからか社会保障は先進国の中でも手薄。一方、ヨーロッパ諸国は、努力なんて嘘!最初から格差存在してるっしょ!と思う人が多く、そのため社会保障が手厚い。

この現実をみんなが知ってしまうと、恐らく社会は今ほど回らないのでは?努力すれば実る人でさえも努力することを拒み始め、誰しもが怠惰な時間を過ごしてしまい、、努力は実という幻想を見させてあげた方が社会にとってはありがたいのでは?特に運と遺伝子に恵まれた人にとっては。

と一見、このような世界線は悪いイメージを抱いてしまうがその前提こそが間違っている可能性は十二分にある。かといってそれが正解なのかどうかは全くわからん。



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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

♦お休み。。😴


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今週の映画

♦最強のふたり

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笑いに対して、それほど良い印象を持っていなかったんだけど、本作での笑いは清々しい限り。冒頭のドライブシーンで流れていた「セプテンバー」のイメージがしっくりくる。冒頭シーンは必ず2回見て損はない。

もちろん、1回目にも高揚感を味わえるんだけど、映画を全部見た後にもう一度見てみると、高揚感のようなスピード感のある煌びやかさではなくて、じっくりと時間をかけて煮込んだシチューを食べる時の様な感動を味わう。

冒頭シーンだけでも2回は絶対見るべき。


なぜ、本作においてフィリップとドリスがあそこまで意思疎通できたのか。やはり、その裏にはどちらも社会から見てマイノリティの立場にいるという事がある。

フィリップは頚椎を損傷して首から下が全て麻痺という極めてまれなマイノリティ。ドリスは職を得ることができず貧しい暮らしを営むマイノリティ。どちらも社会から疎外され、見る見られるの関係において見られる立場に位置する。そして、見られるならまだしも、見ようとされない立場にいる。

フィリップのもとで働こうとする人はいくらでもいたが、やはりフィリップと同じ立場で接することは出来ない。どこかしらに自分とは違う異質な存在としてフィリップを見ている側面を持っている。しかし、ドリスは違った。自らがマイノリティでありながら、マイノリティという事を苦にせず、むしろ楽しく生きよう!精神を持っていた。

自分がマイノリティであることを忘れさせてくれるドリスの存在。これほどフィリップからして、元気づけられるものは無かった。思いを寄せる女性を除いて。

そんな映画を僕は結局、見る立場からしか楽しめない。見られるという事、見られないという事の辛さはわかり得ないのが現状。もちろん、マジョリティにいる人にもマジョリティ特有の悩みというものは存在するが、何事も当事者じゃないと結局のところ理解しえない。

また、本作でフィリップが心を許していた側近の人物は周囲にいた女性たちなのだが、これもまた社会的地位を確立できていない存在。もちろん、今は男女平等という名のもとにその差は埋まりつつあるようだが、女性というのはやはり男性に虐げられた立場にいる。そんな苦しみを知っているモノにのみフィリップは心を許したのかもしれない。。


♦プライベート・ライアン

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この映画は何なんだ。特にこれと言った見せ場もなく、ただ淡々と戦争の情景をまじまじと観客に見せつけてくる。正直、現実に同じことが起きていたなんて想像がつかない。異世界の話ではないか?と思えてくる。そんな異様な光景が戦争だ。

1944年6月。ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。そんな中、オマハビーチでの攻防を生き延びたミラー大尉に、落下傘兵ライアン二等兵を戦場から救出せよという命令が下された。彼には3人の兄がいたが、全員が死亡。兄弟全てを戦死させる訳に行かないと考えた軍上層部の決定であった。ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのだが……。


観客を現実世界に連れ戻してくれる唯一の存在は「アパム」だろう。彼は、英語・フランス語・ドイツ語を喋れるは良いものの実務経験は全くなく、戦争とは何か?を全く知らない一般人のような立場。いきなり戦地に放り投げだされたようなふわふわ感を持っている。

そして、自らが戦おうという意思はなく常に奥手。自分たちの仲間を殺した相手の捕虜を捉えたときも、「捕虜を殺すことは規律違反。このまま逃がそう」という平和な時のルールを戦場に持ち込む始末。

そして、最終的に逃がすことになった捕虜が後に、仲間2人を殺してしまう。その現場のすぐそばにアパムはいたものの、足が動かずただ、殺されていく声を聴くのみであった。。

しかし、最後のシーンでアメリカ軍の増援が到着し、相手が降参をしたとき、捕虜とアパムは対峙。捕虜がアパムに懺悔のような言葉を投げかける。アパムは躊躇なく、捕虜を自らが持っている銃で殺したのである。

一時は捕虜を殺さないというある意味道徳的な行動を取っていたアパムが、最終的にはアッサリと捕虜を殺す。この心情の移り変わり。


人が戦争をじゃなくて、戦争が人を操っているかのよう。アパムが仲間に「弾を持ってこい!!」と言われたときに持っていかなかったその光景は、一見するとイライラしてしまうんだけど、あの行為はとても繊細なもの。弾を渡すことによって味方は助かるかもしれないが、それと引き換えに大勢に人を間接的に殺してしまうことになる。それをアパムは防いだ。仲間2人を犠牲にして。

戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのはとてつもなく複雑で難しい。最初は大義名分を持った状態で戦っていたが、だんだんなぜ自分が今銃を持ってここに立っているのか?一体誰の何のために戦っているのかが見えなくなってくる。ただひたすら、目の前に現れる敵を倒すという動作の繰り返し。アパムは目的を持っていた数少ない兵士だったのかもしれない。それが戦場という場にそぐわないのは言うまでもないが。


戦場のグロイシーンと、冒頭と最後の色鮮やかな墓場のシーン。どのシーンでもスクリーンの中心にいるのは人であるが、その目線は異なっていた。前者は常に上や真正面を見ていた。後者は下を向いていた。今、私たちが暮らしているこの地面のもとで、多くの犠牲が生まれ、受け継がれてきた社会。どう生きていけばよいだろうか。


♦トップガン

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ザ・戦闘機カッコいいという映画。これを見たら戦闘機のカッコよさを肯定せずにはいられない。海軍全面協力がなし得た戦闘機の迫力あるショット

上映されたのが1986年。1965年11月から1975年4月30日に起こっていたベトナム戦争が終わった後。恐らくまだ、アメリカ国内には軍に対するマイナスイメージがこびりついていたはず。軍への信頼、軍隊カッコよい✨という印象を国民に取り戻すには、絶好の映画だったのではないかな。

映画内で登場するMIG28?高性能の敵戦闘機があるんだけど、実質「enemy」が登場するのはそれくらいで、乗組員の顔も見えないし、本作は敵が存在せず、ただひたすらアメリカ軍の中で話が完結する。架空の敵を作って、戦闘映画!とすることもできただろうけど、あえて自国の軍のカッコイイ所をふんだんに演出したのは、やはり話を簡潔にしたかったのか?

軍のパイロット、しかも大尉クラスになる人なんて、相当の天才かつ努力を積んできた人たちで、その人たちにスポットライトを当てるだけでも我々一般人の理解はやっと追い付けるかどうか。敵要素が無いことはストーリーを最後まで追うためには必須だったのかも。実際、本作は39.5億円もの興行収入を得ることに成功している。

そして、以下の動画は面白い。


一般人が、スクリーンを通じてエリートパイロットたちに感情移入できるように、上裸の状態でのロッカールームでの談話シーンやトップガン成績優秀者に送られる盾と名前の彫刻、などいかにも僕たちが親しみやすく感じれる要素を監督の意向で加えている。実際は、そんな茶番など無く、もっとサバサバとした雰囲気なんだろう。命かけてるんだし。恋愛シーンも正直いらないけど、大衆を引き付けるには格好の餌なんだな🤣🤣 アプローチする方が相手を覗き込んでるのは映画関係なくなのか?

しかし、その甲斐もあってベトナム戦争で失いかけていた軍への信頼を取り戻すことができた。ある意味、プロバガンダ映画と言えるだろう。

にしても、結局マーヴェリックの父親が死んだ理由は何だったのか?その謎を恋人かつ教官のチャーリーに調べてもらうてきな流れがあったはずなんだけど、どっかいってしまったな😂 


トム・クルーズのアルファオスぶりには脱帽してしまう。自信みなぎる態度、相手から目を離さず見つめる力強さ、相手がこっちを振り向くとそっけなくする駆け引きのうまさ、ユーモア。カッコいいね。


♦ビバリーヒルズコップ2

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1984年公開。ビバリーヒルズコップ1と2を見たけれど、どちらもエンターテイメント性が高くて、見るだけでHappyな気分になれる。もはや、良い悪いなんて関係なく。

フォーリーのキャラクターがとにかく明るくて、ユーモアに溢れてて、かといって冷静で魅了される。前回と比べると、非現実的要素が増えていた。だからか、フォーリーの快活さが少し薄れていたように感じた。そこは残念な所。周りが普通の環境においてこそフォーリーの良さは引き立つと思うから。

あと、びっくりしたのが本作の監督が「トップガン」と同じ人という事。それを踏まえると少々大掛かりな演出も納得いくかも😂😂

個人的には1の雰囲気の方が好きだけど、サブキャラクターにより深く感情移入できる2の方も面白いって感じ!

にしても、ビバリーヒルズの高級住宅街にはビックリする。

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その凄さにローズウッドが深入りして、警官としての職務を忘れない事を祈るばかりである。。あんなにデカい銃を持ってるなんていくら警官とはいえ、ヤバいっしょ。明らかに敵意むきだし。男性ジェンダーとしての悪いほうでの力強さが際立つのである。上司と立場逆転しそうやもん。

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