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NO.11 不安は自由のめまいだ by キルコゲール。 立ち振る舞い/上祐さん/モテ/ハッカーと画家/雨に唄えば/ジョーカー/鳥/その他

*雑念日記(大学生の)
ー 立ち振る舞い/上祐さん/モテ/その他
*今週の読書
ー ハッカーと画家
*今週の映画
ー 雨に唄えば/ジョーカー/鳥
*的をかすめる人生相談
ー お休み~
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)


♦僕の癖の1つとして、誰かとすれ違う時に絶対に下を見ずに前を向いて何事もないかのように歩くというものがある。

いや、なんやねんそれ!

と僕自身も思う。ただ、もし目線を下げてしまったり、脇の方へ逸れて歩いてしまうと、何だか自分が相手に怯えているかのように思えてしまって、それを僕の中のどうでもよいプライドが許さないのである。

学校が始まって人とすれ違う母数が多くなっているため、誰かとすれ違う度に神経を少し使うのである。これが、まぁめんどくさいっちゃめんどくさいんだけど、それをしないでおくと、それはそれでヤキモキしてしまう。意味分からんこだわりなのである。

ただ、人が集まる場所に行くときに意外とこういうのって目立たないけど大事なのでは?と思う節もある。特に初対面の人が大量にいる場所においては、最初はお互いがお互いの関係性、序列を探ろうと試みる。その時の判断基準として服装や言動、誰とつるんでいるかなどが挙げられるが、その中の1つとして立ち方や歩き方も十分入り得るでしょう。

と、自分に都合の良いように解釈をしておこう。。


♦情報量多すぎて頭がパンクしそうになった。


話し方で人の事を判断するというのは中々できないものなんだけど、この方の話し方を見聞きしていると、賢いと思わずにはいられなかった。発声の仕方もなんだけど、具体的な日時だったり情報を昔のことながら覚えていて、凄いなと思った。

ただ、ここで言われている情報や日時が実際には間違っているという可能性も否めないのだが、そうだとしてもここまで本当であるかのように話すのは凄いと捉えることができ、どちらにしても知的な人だという印象には変わりない。

人々を教団に熱狂させるために覚せい剤まで使われていたというのには驚いた。そこまで多くの人を団体にのめり込まさせるだけのプログラムが作られていたとは、立案者の人の賢さが伺える。まぁそれだけじゃなくて、社会が安定しているか不安定かという事や、個々人の精神状態も関与するんだけど、それを考慮しても全員が全員できるような事じゃないよね。


♦岡田斗司夫さんにハマっている。

君が彼女を作らないという選択をするという事は、パートナーができない女性を1人生んでしまうことになる。結局は、男性側が頑張るしかないなのだ。

一言一句は絶対あってないんだけど、上記のような旨のことをおっしゃっていた。

この視点の転換めっちゃ好きです。


♦久しぶりのバイト。帰って鏡を見てみると目が充血+体重が2㎏減っているという疲れ具合😣😣😣 これはいわゆる疲弊というやつです。

いや、しんどいっ!!緊急事態宣言が明けたからなのか各地の人の流れも増えて、賑わっている一方でお店で働いている人からすると嬉しいという事の反面、気合入れなあかんぞぉ~という気持ちもあるのでは。

今の時短営業スタイルにてっきり慣れてしまっていると、以前のような夜遅くまで営業しているスタイルに戻れないのではないか?そもそも、業種によっては戻らなくても良いのではないか?とまで考えてしまう。


今日のしんどさを何とか耐えることができたのは次の曲を頭の中でループ再生していたからですね🤣🤣


♦他人が作り出した欲求のはけ口にまんまと騙されて向かってしまうのではなく、最低でも今から自分は他人の手のひらの転がされるという認識を持ちながら行動したい。そして、願わくば他人が作ったフィールドで他人の意のままに行動するのではなく、自らが道を切り開いて行動したい。

他人の作った幻想に惑わされて、自らが優秀になった、偉くなったと勘違いして傲慢になることだけは絶対に避けたいのだけれど、こういうことを言っている人ほど、気づくとそのような未来をたどっているということになりかねないので、以後は言わないようにする。


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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

ハッカーと画家


ハッキングをする悪い意味でのハッカーでは無く、単にコンピュータに関する技術をかなり会得している、パソコンオタクのことを本作ではハッカーと読んでいる。そして、そのハッカーたちの考えや生態をハッカーから見た主観的側面と周りから見た客観的側面の双方から言及している一冊。

個人的には、オタクとモテのトレードオフについて書かれている章が面白かったな。オタクはモテるためにしないといけないファッションなどの事に対して注ぐ集中力が自分のオタク領域に持っていかれて、リソースを割けないか。結局、モテというのもハックしようと思えば、ハックできる領域なんかな。


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今週の映画

♦雨に唄えば

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映画全体を通して、ディズニーランドの It's a small world だっけ、船に乗るアトラクションに乗っているような、もっと普遍的な表現をするとメリーゴーランドに乗っているような雰囲気を味わえました。爽やかな感じ😆😆

ミュージカル映画を見るのは、恐らく初めてで、いやそう言えば La・La・Land を見たことあったんだけどそれを含めて2回目かな。おんなじ映画と言ってもミュージカルを主体にしたものと他のものとでは明らかに何かが違うんよね。

ただ、思ったのはもともと主演女優役として抜擢されていたリーナが可哀そうということ。初めのころは持っている美貌のおかげで周りからちやほやされていたのに、いざ自分よりも魅力のある女性が現れるとみんなの態度が急変。いや、元からリーナはその美貌のみを求められていて、つまりみんなが求めていたのはリーナでは無く美貌を持った女性といういくらでも代わりが効くものだったのかな。

にしても、もう少し色々な配慮の仕方、コミュニケーションの仕方があっても良いのでは?と思った。まぁこれも主演女優の美しさや良さを際立たせるための演出として捉えるとするしかないね😅😥


♦ジョーカー

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まず、第一の感想。

なんなんや、この映画。いったい何を伝えようとしているのか。どこからが妄想でどこからが現実なのか。一番最後の精神病棟のシーンで思いついたというジョーク自体が彼の頭の中でのみ繰り広げられていたもので、実際にコメディー番組に出演はしていなかったのか。考えてみるしかない。

ジョークジョーカー

これら2つの単語がもじられているのが、本作の見どころでもあり視聴者を惑わせるものである。

本作で登場する人々の生活水準はとても幅があった。一方は、玄関の門から家までに広大な庭がありSPもついておりという、いかにもお金持ちという家に住んでいる。一方は、エレベーターさえもスムーズに動かずに大きな声を出すと隣人から激が飛んでくるような家。そして、映画全体に流れている格差という問題。


スクリーンの中で登場人物が自らのことをテレビや新聞などのスクリーンを通して見る描写というのは珍しい。


階段の上り下りで演出するジョーカーの心情。

福祉というセーフティーネットを作ることは大企業を作るように目立つことでは無いのかもしれないが、そこには必ず救える人がいる。という事を考えた。

All of you, this system know so much (that) you decide what's right or wrong. In the same way, would you diced what's fun of or not?

社会の良し悪しを決めているのは君たちも知っているように、主観で決めている。それと同じように、何が笑えるか笑えないかも決めて良いのでは?

ジョーカーの言動に共感


曖昧な部分が多い分、見る人によって多種多様な解釈ができるんだろうな。ジョーカーに近いような生活を送っている人は、「もしかすると、自分もジョーカーのようになってしまうのかも」「ジョーカーはカッコイイ」という感情を抱くのかもしれないし、ジョーカーの生活とは無縁の人からすると「こんな凶悪なやつ、早く警察捕まえて」「ただのフィクション」という感想を抱くのかもしれない。

社会が生み出す狂気にスポットライトを当てた本作。もう一回見て色々再考したい。

こういう動画も併せてみると楽しさ倍増ですね


♦鳥 アルフレッド・ヒッチコック

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鳥たちが、人間を脅かしていき最終的に人間の住処が鳥たちに奪われるというお話。

作品中での「鳥」は一体何のメタファーなのか。現実世界に照らし合わして考えてみると、人間と鳥、また動物たちの立場が逆になるのではないか。つまり、鳥や動物たちが本来暮らしていた土地を人間たちが着々と略奪していく。その恐怖は結局人間を主体として見ると想像ができないため、視点の転換として本作は機能するのではないだろうか。

人間が自然に対して行っているであろう行為の恐ろしさをこれほどまで豪華な演出を用いずに鳥のみで表現しているのは、凄いと思う。こういう地味だけどボディーブローのようにじわじわと苦しめてくるタイプが案外一番たちが悪かったりするんよね😣😣

また、動物と人間の比喩のみならず、アメリカ社会における黒人と白人の比喩も含まれていると思う。本作が公開されたのは1963年。その年代に非常に近しいころ、アメリカでは公民権運動が活発に行われていた。アフリカ系アメリカ人が選挙権の獲得や人種差別の撤廃を求め行われたという運動である。作中で描かれている人間は当時で言うと白人たちの立場であり、鳥たちは黒人たちのメタファーであると捉えることもできる。権利を求める黒人たちに対して白人たちは自分たちの生活が脅かされるとして、危機感を持ち始め気づくと住処を自らが移動しなければいけない状況にまでなってしまっているという。果たしてこの文言を聞いて、鳥と人間の関係性のみを描いているように感じるのか、はたまた黒人と白人の関係性を隠喩しているように捉えるのか、その自由を観客に与えてくれるのはやはり映画の面白いところだなぁ~と思う。


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的をかすめる人生相談

僕はまだ、人生経験も豊富で無く考えも未熟なところ大アリだけど、また神様でもなく学者でもないけれど、、ほんの少しでも読者の方に楽な気持ちになってもらえればということで、質問コーナーをやります。僕の回答はもちろんの事、質問を考える上で今抱えている悩みをまとめるという作業自体に、とても意義があると思います!できるだけ、回答していくつもりなので、気軽に下記のリンクからお申し付けを(´▽`)



今週はお休みです😴

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おわりに
的をかすめる人生相談のコーナーでは、相談以外でも、感想、要望、何でも受け付けております。特に期限は設けていないので、数週間前の投稿に言及することもあります!できるだけまんべんなくお答えしていくつもりですが、他の読者が読んで不快に感じるような内容については回答を控えさせていただくことがあります。下記のリンクからお申し付けを(´▽`)😊




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ではでは~また来週に😊


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