【書評】川端康成を「聴く」-雪国

あらすじ

雪に埋もれた温泉町で、芸者駒子と出会った島村―― ひとりの男の透徹した意識に映し出される女の美しさを、抒情豊かに描く名作。

親譲りの財産で、きままな生活を送る島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。許婚者の療養費を作るため芸者になったという、駒子の一途な生き方に惹かれながらも、島村はゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない――。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。ノーベル賞作家の美質が、完全な開花を見せた不朽の名作。

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「開始3秒でかっこいいと思う曲を作れ」

ある人に言われた言葉で作曲をするときに今でも念頭に置いている言葉である。ただあまり意識しすぎてしまうとイントロばかり力を入れてしまって頭でっかちな曲になってしまうから気をつけなければいけない。

さて、小説でもイントロはある。
装丁は「ジャケ」であり、歌モノのようにすっと入ってくる文(歌詞)もあれば鋼鉄リフやシャウトのようにガンガン訴えかけてくるものもある。

以下、あまりにも有名な小説のイントロはこうである。


吾輩は猫である。名前はまだない。

夏目漱石/『吾輩は猫である』


メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐な王を除かなければならぬと決意した。

太宰治/『走れメロス』


永いあいだ、私は自分が生まれた時の光景を見たことがあると言い張っていた。

三島由紀夫/『仮面の告白』

(他にも、夏目漱石の『草枕』や太宰治の『人間失格』(第一の手記)があまりにも有名で、必ずどこかで耳にしたことがあるのではないかと思うので、ぜひ調べて見てほしい)


中でもこの小説のイントロの中でも極めて美しく崇高で甘美で、開始3秒、いや、0.5秒で心臓をグッと掴まれる文が川端康成の『雪国』である。


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。


どうでしょう?まさに原点にして頂点。
僕はこの一節を見たとき、この日本語の美しさがわかって良かったな。日本人で良かったな。と思えました。

「夜の底が白くなった」
なんて叙情的で聖書的なんでしょう。そう「BIBLICAL」!!!

日本語の美しさ、と言っているのに聖書的。イコールではないように見えて神秘的であり、ひっそりとただずまう感じが逆説的に表現してしまうのです。

僕はこの記事を書いていて思いました。小説のだいたい後に書いてある「解説」というものは存外好きになれず、何か文学めいた単語を並べごちゃごちゃうるせーな、などといつも思っているんですが(おい)

人間本当に美しいものに出会うと「言葉」が見つからず、自分が持ってる辞書を片っ端から引っ張ってきてごちゃごちゃと並べて表現してしまうのです。

「な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった… 」

そう、ポルナレフ状態に陥るのです。



川端康成はぜひ読むのではなく「聴いて」ほしい。
初めて読んだ「伊豆の踊り子」ではなんだか小難しくて、文学作品と闘ってしまった。それは作品を聴く力がなかったのだと思う。

ストーリーって実はどうでもよくて、物語的に感動を求めるならばその辺のなんとか賞をとった、毒にも薬にもならない大衆小説を読もう。

なぜ文学作品と言われている小説を読むのか?と言われたら、たった一つのセンテンス、言葉遣い、そこに美しさを感じること。作者の言いたかった事、表現したかった事を自分で見つけることにとても意義があるように感じます。

今回「雪国」を感じれたのは、自分の音楽的芸術志向の幅が少しはマシになったからかもしれない。

イントロの最強度:★★★★★
クラシック度:★★★★★
駒子メンヘラ度:★★★★★
おすすめ度:B+(求めるものによって変化あり)

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