「モヤモヤ」と「ザワザワ」の違い
タイトルだけ見ると何を言いたいのかよくわからないことになってしまっているかもしれない。
安心してほしい。
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私もよくわかっていない。
「モヤモヤとはなんか違う、ザワザワな感覚があるんだよな」
本当にただそれだけである。
私のnoteと言えば、「上手くまとめ上げることに定評がある」と自称している(笑)
どんなテーマに対しても最終的には落としどころを見つけて、前向きに終わる。それが次につながるから。
だけど宣言しておきたい。
今日はきっとまとまらない(笑)
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「モヤモヤ」はチャンスだと思っている。
そんな記事を以前に書いた。
モヤモヤしているってそこから抜け出したい証拠なのだ、と。自分自身からのメッセージなんだ、と。
モヤモヤは「自分が変わりたい、変わろうとしているサインである」ということ、ここに関しては私自身ブレていない。
だけど「ザワザワ」はなんか違うんだ。
上手く伝えられないけど、なんか違うんだ。
なんだかそのザワザワを感じる機会がたまにある。なんだか地に足がつかないというか、身体に力が入らないというか、心が寂しいというか。
ザワザワの原点は「わからない」にあると思っている。
どうしたらいいのかわからない、なにをしたいのかわからない、本当にこれでいいのかわからない、このままでいいのかわからない。
なんだかモヤモヤに似ている気もするが、ここには明瞭な違いがあると思っている。
それはモヤモヤには自分の中で答えが見つかっている、ということだ。
自分の中で、「本当はこうしたい」という”答え”が出ているのに周りの声や目、自分の立ち位置などを鑑みて自分の本心に蓋をして見て見ぬフリをしてきたからモヤモヤするんだと思う。
だからその蓋を開けてあげれば、すぐに道は開ける。蓋に気づければ、光が見える。
そういった意味でチャンスだと。
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だけどザワザワは違う。
わからないの永遠ループに入っているのだ。
そしてその中にきっと”答え”はない。考えれば考えるほど、頭が混乱して自分の中でどうしたいのかわからなくなっていく。
「なんか違う気がする」とはわかっていても、その源がなんなのかわからなくて。どうすればそこにたどり着けるのかもわからなくて。だからどうすればいいのかもわからない。
ただただ蝕まれていく感覚。
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だけど今こうやって記事を書き進めている中で、ようやく一つの答えが見えた気がした。
それは「一度考えることをやめること」。
もしかしたらそれは”逃げ”なのかもしれない。
だけど考えて考えて、混乱してわかんなくなってしんどくなるなら、いっそのこと一度考えないことも一つの手なんじゃないかな、と。
答えを出すことに焦りすぎているのかもしれない。
自分は一人で何でもできると思い込んでいるのかもしれない。
自分の記事が大事な気づきを与えてくれる。
そう考えると「ザワザワ」も自分の調子の一部なんだと安心する。
必要な流れなんだ、当然訪れるものなんだと安心する。
ただいずれこの「ザワザワ」も言語化したい。
プロのスポーツの世界ではこんなことが言われる。
「調子が悪いときにこそ結果を残せて一流だ」
と。
それはきっと調子の悪さを自分なりに言語化出来ていて、何が足りていないからそういうときは○○で補おう、などと分析できているんだと思う。
だからこの「ザワザワ」を言語化出来るようになった時、自分は一枚も二枚も成長した人間になれている気がする。
だったらそこを目指したい。
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!