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家賃5000円の寮が教えてくれたこと。

大学時代、正確な値段はここでは避けるが家賃が約5000円の場所に住んでいた。
水道光熱費が含まれても1万円程度。

そう、それは学生寮。

表現が難しいが、経済面で苦しい家庭の子が入れる寮。入るためにも倍率があって、約2倍の倍率を勝ち抜いて入寮することが出来た


4階建てであり、計7ユニットに分かれている。1ユニットに1年生~4年生までいて25人くらい。


入寮を勝ち取った時は安堵の気持ちだったが、最初は怖かった。

「いくら安いとはいえ、安すぎないか?」

そんな感情を持ちながら入寮すると、まずは鼻にくる男くささ。

「なるほどね」

そしてゴミの量。6畳の1人部屋。ストーブはあるけどエアコンはない。汚い補食室、汚いシャワールーム、浴場。

結局大学4年間浴場には1度もいかず、シャワールームしか使わなかった。

まあ、ある程度は想定内だったものの、なかなかのすさまじさ。そして縦社会。私の場合、野球部で慣れてていたものの、正直な感想は

「すごいところにきてしまった」

に尽きる。

4年間ここで暮らせていけるのかな、という不安と何とかここで頑張らねばという思い。その思いからくる「すごいところにきてしまった」だ。

同じユニットに入った同期の1年生たちによってつくられたライングループの名前は「○○寮刑務所」。多少のネタ要素はありつつも、そのネーミングに嘘はなかった。


しかし”住めば都”とはまさしくで、1か月もすればその環境に慣れてしまった。習慣って恐ろしい。

そして今思うと、寮に入ることが出来たから今の自分がある。
人生の大きな決断の一つが出来たのも、この寮のおかげである。

どうしてこんなに「都」になってしまったのか。

その要因の一つが、何より境遇が近い存在が多いということ。

それぞれがそれぞれに大変な状況で育った人がいた。
世に言う「普通」とは違う環境で育っている人がいた。

それが自分にとってものすごく新鮮だった。

それまでの学校生活(小~高)では、自分が周りとは違うことに怯え、家族の話などしたことなかったし、自分の話などしたことがなかった。

何より「普通」に苦しんでいた。

だけどこの寮は自分が「普通」ではないことを受け止めてくれる環境だった。気兼ねなく話せる環境だった。気を使わなくていい環境だった。だから居心地の良さを感じたのかもしれない。

先輩たちは温かった。最初「縦社会」といって怖さもあったけど、親身になって話を聞いてくれて頼もしくてかわいがってくれて。

後輩たちもとてもいい子たちで。同期の存在もどこか運命共同体のような感じがして。

BBQしたり、花見をしたり、飲み会もしたり。深夜に補食室で語り合ったり。同期とは誕生日会もした。

サークルとはまた違う。そしてただの隣人さんとも違う。

もはやそれは「家族」だった。


中にはより良い環境を求めて、また自分の目標のために退寮していく仲間たちもいた。

たしかに廊下に虫がいることはあるし、汚いし、夏はクーラーなくて暑い。
退寮したくなる気持ちもわかる。

だけど私は4年間ずっといた。これが正解か不正解かなどが論点なのではなくて、退寮が頭をちらついたことは一度もなかった。

もちろんその一つに家賃の安さはあるが、それ以上に退寮する理由がなかった。ここで出来た人とのつながり経験そのどれもが自分にとって貴重で、寮に入っていなかったらどうなっていたんだろうと思うくらい。


家賃5万円払って広い家に住む。確かにこれもめちゃくちゃ幸せなこと。

だけど家賃約5000円の6畳部屋の寮に住む。これもめちゃくちゃ幸せなことだった。

幸せの価値ってお金では測れないんだな、と感じれた経験でもある。
(家賃5万円のところに住んだことがないからわからないが(笑))

この記事を書こうと思ったのも、以下のネット記事を見たから。

「裕福度と幸福度は比例しない」

まさしくだな、と思った。

裕福さは幸せになるための一つの要素かもしれない。だけどそれは「絶対条件」ではない。

それが私の場合は寮での生活のように、いくら家賃が安く環境も良いものではない。世間的に見たら「裕福」ではないかもしれない。だけどめちゃくちゃ「幸せ」だった。

それはありのままの自分を出せるからなのか、泥臭さがある環境が自分にあっているのか、自分を大きく見せる必要がないからなのか。そこの詳しい部分の言語化はまだまだな気がするが、そこに自分にとっての「幸せ」とは何かがある気がする。


家賃約5000円の寮が教えてくれたこと。

それはお金には変えられないくらい大きなものだった。

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