見出し画像

「努力」の言語化をしてみた。

これはあくまで自分の経験であり、自分なりの言語化である。
全ての人に当てはまるものとは限らない。人それぞれの定義があっていいと思う。

私は昔から、

「ストイックだね」
「どうしてそんなに頑張れるの?」
「めっちゃ努力するやん」

と言われることがある。嬉しいというよりは、「意識高い」の記事でも書いたが昔はどこかそれが恥ずかしかった。

自分ではそんなつもりなくやっていることが、周りからはそう見えているのだろう。一度決めたことに対してやりきるという信念を持っているが故の結果だと思う。自分の中では「努力」をすれば結果が出るとわかっていた。


「努力」に時間を使うしんどさよりも、自分が「出来る/やる」と決めたことを途中で妥協する方が、自分を裏切ることにもなり、それが嫌でおそらく頑張れるのだろう。

「努力」や「頑張る」という言葉を簡単に使ってみたが、このあたりの言葉は捉え方が非常に難しいものだと思っている。言葉の本質が掴みにくい。だから自分なりに定義するために少し考えてみたい。

「努力」に関していうと、私は努力は「頑張ってする」ものよりかは「気づいたらしているもの」であり、いかに早くそのフェーズに持っていけるかだと思っている。
どこか苦しいもの、しんどいものというイメージも付きがちだが、楽しんでやっている努力があっていい、むしろいかに楽しみながら努力できるようになるかの方が大事だ。

よく「結果を出すために努力しろ努力しろ」っていうけれど、
じゃあ努力って何なんだい?って感じである。

もちろん目標のために時間を費やすことが努力になり、それが成功に近づくための手段であることは紛れもないのだが、努力したからって必ず成功するわけではない。

少し現実的な話、成功した人/勝った人は「努力したおかげです」というかもしれないが失敗した人/負けた人だって多くの場合、努力はしているのである。ここを勘違いしてはいけないと思っている。努力すればいいわけではない。それははあくまで手段であり、目的ではない。

だから「努力をしよう」だけで終わらずに、「どういう努力をしよう」、howの部分までしっかり考える必要があるのだ。

自分で考えたhowで成果が出るか、出なかったらまた工夫する。
そうやって自分で考えて取り組むことで成功した時の嬉しさは倍増するし、
自分で考えたことだからと、成功するために必死になって取り組み続ける。

それが結果的に、周りから見たら「あいつ努力してるな」という風にに見えるようになる。

それと同時に最初に必要なのは小さな「成功体験」だと思う。
自分で工夫して取り組んだ「努力」によって、成果が出るという経験。
それがあれば、「自分の取り組み方は間違っていない。工夫し続ければ成果が出るんだ」という前向きな思考になっていく。

結果が出ない時期が続いても、その時の心の支えになるのが自分の「努力」によって成果が出た経験だ。よく小さな目標からコツコツと、ということを耳にすることがあるが、それはこの部分からきていると感じる。

これは自分への言い聞かせでもあるので繰り返す。

努力は手段であって、目的ではない。
「努力をする」ではなく、
「○○という努力をする」という具体的な部分まで考える。
そしてまずは小さくてもいいから成功体験を積み重ねていく。

これが「当たり前」になれば、努力することは楽しいものとなっていき、
それどころか努力は「する」ものというよりか「気づいたらしているもの」に変わっていくと思っている。


この記事が参加している募集

スキしてみて

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!