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「意識高いね」の印象が誉め言葉に変わった

「意識高いね」


小中学生の頃は、どこかその言葉が怖かった。

「意識高いね」の後に何だか『(笑)』がついている感じがした。
真面目にやっていることがバカバカしい、どこか気だるそうにやっている方がカッコいい、そんな風潮があった気がする。

「うわ~、意識高っ(笑)」

自分に対してではないが、そんなことを言っている人を見たことがある。


その風潮に真正面から戦いを挑めるほどの覚悟が僕にはなかった。
どこか仲間外れにされるのが怖くて。
ただ完璧に気だるそうに演じるほどの覚悟はなかった。
根底して真面目に何かに取り組むというポリシーが自分にはあるから。


だからこそ無難な選択ばかり選んできた。
授業もしっかり受けて、体育のアップのランニングなども全力で走って、
しれっと意識高い系であり続けている自負はあった。

ただどこか突き抜けるところはなくて、
平均よりちょっと意識高い、そのあたりをうろついていた。
それでも周囲の中では浮いていたかもしれない。


それが高校になって、高校の硬式野球部というコミュニティに所属すると、そこのコミュニティにとっては意識高くあることが「当たり前」であるため周りの目が気にならなくなった。

優先するべきコミュニティがクラス単位ではなく、野球部になり、
少し楽になった。
それでもそのコミュニティ内でも多少のギャップがあったのは事実だ。


そして大学に入った。
大学で少し違和感を覚えたのは就職活動だろうか。

私の所属する学部は、というよりかは大学全体として公務員試験勉強をしている人が多かった。

僕自身それ自体悪いことではないと思っている。
何なら僕だって3年生の1月まで公務員を目指していたし(講座は受けていないが)。

でも、どれだけの人が自分の意志でなりたくて公務員を目指しているのだろう、と思った。もちろんもしかしたら多くの人が、

「いや、なりたいから目指しているんだし」

というかもしれない。それは否定するつもりなどさらさらない。むしろ素晴らしいことだ。しかし中には、「親に言われて」「まあ安定しているし、とりあえず」みたいな人もいる気がする。それが悪いとも思わない。実際私もそうだった。

しかし「就職」という、人生のある種ターニングポイントでもあるこの場面で(転職という選択肢もあるが)そんな決め方は嫌だ、と心の中で僕は思った。

そこで初めて就職活動というものを始めた。
それも新潟ではなく、東京を舞台に。

2、3年前いや1年前ですら東京に足を運ぶことになるとは思っていなかった。そして東京についた瞬間、意識の差に驚いた。

そもそものイベントの数。そして就活生のモチベーションの高さ。行動量。

完璧に私自身、スイッチが入った。

またTwitterなどでの投稿も意識が高い人は本当に意識が高い。
言葉の重み、行動の質、そのどれもが想像を超えていた。

かつての「意識高い」への印象はどこかバカにされる、あまり良くない印象だった。しかし気づいたらそれは憧れの、自分もそうなりたいものへと変わっていた。

よく「その人を表すのは、その人の周囲にいる何人かだ」というような言葉を耳にすることがある。この言葉はまさしくだし、どこのコミュニティに所属するかってものすごく大事だと痛感した。

そして、都会と地方の差みたいなことも耳にするが、就職活動を通じてこれも痛感させられた気がする。

今となっては周りの目を気にせず、「意識高い」を目指すことが出来ている。だってまだまだ上には上がいるから。

それと同時に、本当は「意識高」くありたいのに周りの目を気にしてなかなかそれができていない子たちがいたら、「気にしなくて大丈夫だよ」といってあげたいし、その子たちのロールモデルになれるような人を目指したい。


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清津峡✨✨
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niigata univ. / 1998 / 言語化 / 毎日note継続中【314日目】 / 金沢QOL支援センター21卒 / 訪問看護、就労支援A型、B型、移行支援 / リハス / 農福連携 / まずは自分が会社のファンになる / 日々実験 /シリーズで内定先紹介中