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「らしさ」

○○らしさ

この言葉ほど不明瞭で不確実な言葉ってなかなかないと思う。

なんせ、「自分自身で定義しづらい」のだから。

「なんか今日お前らしくないな」
「自分らしく頑張りましょう」

自分ではそんなつもりがなくても、「お前らしくないな」と言われることや「自分らしく頑張る」ってなんだよ、って思った経験はないだろうか。

これまでは何となく折り合いをつけて、

「自分らしさね、まぁこんな感じかな」

と深く考えないようにしてきた。ちょっとモヤモヤを抱えながら。

そんな時にある本と出会った。それが阿部広太郎さんが書かれた『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』という本だ。

その本の中には「らしさ」について、こう書かれていた。

(自分らしさとは)他人と出会い、対話を重ねて、気づく。あの人にあって、自分にはないこと。あの人にはなくて、自分にはあること。人の持つ「らしさ」は対話で磨かれる。自分探しは、つまり他人探しだ。」

モヤモヤとして引っかかっていたものがストンと落ちた気がした。

”「らしさ」は対話で磨かれる”

この言葉を聞いて2つ、こういうことなんだろうな、と思ったことがある。

・・・

1つは言葉の直接の意味の通り、「らしさ」とは他人との関わり合いの中で見つけるものだということ。

自分一人で深く考えていても答えは出てこない。

なぜなら自分の行動一つ一つは、自分にとって当たり前のことだから。
だからこそ他己分析が大事だ、と言われていたり第三者の視点が大事だ、と言われていたりするのだろう。

自分には気づかないことを教えてくれるのが他者の目だ。

だから積極的に周りと対話を積み重ねる必要がある。
それは自分のためでもあり、相手のためにもなる。


もう1つは「らしさ」に縛られる必要はない、ということである。
どういうことか。

一つ目に挙げたことのように、「らしさ」というのは他人との対話によって発覚する。つまりそれは他人がいることによって生まれるもの

自己分析をする上で、客観的に自分を見る分には大事かもしれない。ただ少し強い言い方をすると、周りの人が感じた見え方である「らしさ」に合わせようとして窮屈になるくらいなら、「らしさ」なんて考えない方がいいと思っている。

人の感情や気分、秘めたる思いというのはその都度その都度更新されていくものだと思っている。それは意識せずとも、本能的に。

しかし周りがその変化に気づくことは簡単ではない。だからちょっとした変化で「○○らしくないよ」と言ってしまう。悪気はない。

そこで「らしさ」を大事にし、周りが言う「らしさ」に合わせようとすると自分の本能に嘘をつくことになり、後々しんどくなる気がする。

だから「らしさ」に縛られる必要はない。
「らしさ」よりも「等身大」であることを大事に、ありのままであることを大事にした方がいいのではないかな、と感じた。

・・・

最後に私が好きなバンドであるSUPER BEAVERの「らしさ」という曲の歌詞を一部紹介する。

だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
僕は君じゃないし 君も僕じゃないから
すれ違う 手を繋ぐ そこには愛だって生まれる
そういうもんさ 自分らしさってなんだろう
変えられない 大切があるから 変わりゆく 生活が正しい

・・・

自分の現在地、現状の把握のために他人との対話を積み重ね、自分「らしさ」を感じ取る。

ただその「らしさ」に縛られず、自分が大切にしたい価値観、芯というものを持って瞬間瞬間で「等身大」であることを大事にしたい。

これは相手に対しても同じ。

「らしさ」の押しつけをせずに、対話によってその人「らしさ」を見つけていくということを大事にしたい。

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