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便利になればなるほど生まれる「情報格差」「機会格差」

今では一人一台スマートフォンを持っていることが珍しいことではない時代である。そして小さなその長方形の端末で、言葉をいれて検索するだけでありとあらゆる情報が手に入る時代でもある。

しかし、いやだからこそ、これからは個人においても企業においても「情報格差」の時代がやってくるのではないかと思う。

地方と都市圏の情報格差、機会格差

一つは「地方と都市圏の情報格差 機会格差」だ。

まずわかってほしい一つが「ウーバーイーツ」は決して当たり前ではないということ。都市圏では当たり前かもしれないが。よくYouTubeでウーバーイーツで頼んでみた、というような企画をやっているがそもそも新潟にはウーバーイーツがない。

また就活をしていて思うのは就活イベントの頻度の差だ。
東京では正直なところ、ほぼ毎日のように何かしらの就活イベントをやっている。そしてさらにはカフェでも当たり前のようにOB訪問をしている声も聞こえてきた。意識の差を痛感する。最近では、地方就活生が東京で就活しやすくなるようなサービスも出てきているが、結局意識の高い地方の就活生は東京に出ていってしまうことにつながりかねない。そういった面で地方と都市圏の機会の差とというものも感じる。

インターネットが整備されても、「可能性の認識」によってアクセスする情報は全く異なるという意見もある。情報はいくら持ってたとしても、それを使いこなせないと意味がない。また同じ情報から得られるものも、使いこなせる人とこなせない人で大きな差が生まれてしまう。

ロールモデルで溢れている都市圏とロールモデルが身近にない地方の差なのかもしれない。

つまり、今は「検索窓に入れるキーワードで人生が変わる時代」なのだ。

貧富の差も「情報格差」「機会格差」で生まれる!?

よく「小さいうちに質の良いものに触れておけ」というのを耳にするが、これも間違いではないのかもしれない。

経験の差というものは非常に大きい。知っていると知らないの差は思っている以上にある。いくらスマホが普及しているからといって、やはりスマホを持ってない人もいる。家でインターネットを使えない人もいる。多くの人が持つ時代になったからこそ、この差はますます大きくなるかもしれない。

さらに現実問題として「インターネットで検索しても出てこない」ものもあるらしい。


ではどうすればいいのか

個人の短期的な損得勘定であれば、自分が多くの情報を知っていればそれで十分だ。生きていくうえで役に立つし、つぶしも効く。多くを知っているということは選択肢もそれだけあるということ。

ただ長期的に考えたとき、これからの日本の成長を考えたとき、綺麗ごとかもしれないが自分が得た情報をそれを知らない人に伝えていくことが大事なのではないか、と思うようになってきた。

全員が全員そんな考えではなくていいと思う。ただせっかくなら高い競争の中で、やる気に満ち溢れている中で生活していきたい。そのための一つの手段が自分の知っている情報を伝えることだと考える。

これはビジネスにおいてもそうだし、noteにような個人発信でもそう。

最後に私の心に刺さった言葉を一つ。

「人生の価値は何を得るかでなく、何を残すかである」


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