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Hamilton 914

 ものを持つ人間の価値観は様々で、それは手放すときにも同じことが言える。

 例えば靴なんかは分かりやすい。次から次に買ってそれを並行して使いまわしていく人、一足を短いスパンで履きつぶしては次の靴を買う人、本来の機能が発揮されなくなったら履かない人、ぼろぼろになっても直して履く人、いろいろいる。

 靴や服などの比較的消耗の早いものは、本来の機能を全うできない時が、いずれきてしまう。それでも私はどちらかというと一つのものをずっと使い続ける方だ。お気に入りのものを、大切に、願わくばずっと使いたいというのは誰もが思うことだろう。このような価値観を持つ人はかなり多いだろう。そしてこの私もそんなありふれた人間の一人だ。

 ずっとそばにあるものには信用がなくてはならない。信用するには愛着がなくてはならない。愛着と信用には時間がなくてはならない。ようは思い出ってことだろう。

 とはいえ、私がもっているものといえば、製造されてから今まで長くても十年くらいのもの。それが、今年初めに、自分の持ち物史上最年長の品を手にすることになろうとは。

 それが、Hamiltonの懐中時計914だった。

 1921年製のこの懐中時計は、今年で94歳。自分の三倍以上も生きてきた時計である。                        

                         (裏面)

 この時計と出会ったのは、その前までずっと使っていたHamiltonの腕時計が故障したのがきっかけだった。電池の液漏れで修理するのに部品を全部取替えないといけなくなったのだ。自分との時間がリセットされてしまう様な気がして修理をやめたのだが・・・時計がなくては仕事でも困るということで新しいものを探し始めた。(当時は修理する時計店の対応に腹を立てていたことも動機の一つであった。ちなみに今でもその腕時計は大切に保管している。)

 新しい時計の候補筆頭は懐中時計だった。いまだに私が懐中時計を見ると、「おい、マジか」のような目でみられるが、時計を腕に巻くのが嫌だということに買ってから気が付いたんだから仕方ない。はじめのうちは苦じゃなかったのになぁ・・・皮膚が弱いためにかぶれてしまったり、締め付けられるのがたとえ弱くても何となく気持ち悪いのだ。(ちなみにいまだにネクタイをしては嗚咽している)買ったはいいが、腕ではなくポケットに入れておくという何とも機能殺しな使い方をしてたわけだ。(ほんとごめんなさい)

 時計を探していることをSNSでつぶやいていると時計に詳しい知人がいろいろと教えてくださった。そういえば時計のことを私は何も知らなかった(実は今もそんなにしらない)。

 その知人が勧めてくれたのが、Hamiltonの懐中時計914だった。

 人の縁とはありがたいもので、それは自分が思っていたほぼ望み通りの時計だった。電池ではなく手巻きのため、液漏れは絶対に起きないし、大きさもポケットに入って邪魔にならないちょうどいいサイズ(12サイズっていうらしい)。なにより気に入っていた同じHamiltonで見つけてくれたのがうれしかった。

 その時計は吉祥寺のアンティーク時計店にあった。こんな近くにこんないいお店があったとは・・・しらなかった・・・。見た瞬間に買おうと決意した。その月が誕生日月だったこともあるが、よくはわからないなにかに惹き付けられた(これが衝動買いの「衝動」というやつなのだろうか)。

 

 約百年前の時計にもかかわらず状態がものすごくいい。文字盤にあるHAMILTONの文字は手書きで、現代でもこの大きさは機械では印刷することができない代物とのこと。針の色も綺麗な紫色で、ずっと見てられる飽きがこないデザインがすばらしい。手巻きの懐中時計を知らなかった私は、音にも驚いた。内部のムーブメントが刻む音がなんとも心地よかった。

(あまり開けると埃がはいるらしいので今回は写真の写真(笑)でご勘弁を)

 メンテナンスをしてやればずっと使える時計。最高じゃないか。この一件で時計沼にはまったかと思った私だったが、この時計が気に入りすぎて他にあまり目移りはしない。「自分にはこれがいい。こいつをずっと使っていきたい」そう思った。

 私の持ち物の中でこの時計は、おそらく複数人の人間を経て私の手元に今あるという点で他のものとは異なっている。今迄どういう人がこの時計を使ってきたのかは想像に任せるしかないが、私は経年変化が大好きなので、これついてはむしろ魅力だと思っている。けれど、彼ら同様、私もいずれ手放さないといけないことになるだろう。そんな時のことは今では検討がつかないけれど、もし誰かに託したのだとしたら、やはり大切に使ってほしいと思う。それまでは私が大切に使うから。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')