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愛媛の観光地~松山市~

道後温泉や松山城がある愛媛県の県庁所在地「松山市」
今夏の旅行先にしようと思い調べてみました!!

松山市公式HPより

中心部エリア

松山城

江戸時代が始まる前年の1602年に築城されました。
築城者は加藤嘉明です。
嘉明は豊臣秀吉に仕えていて柴田勝家を打ち取った賤ケ岳の戦いで活躍した者をまとめた賤ケ岳の七本槍に加わっています。

築城の翌年1603年にこの地で嘉明がこの地を松山と呼んだことで、現在も呼ばれ続けている松山という地名が誕生しました。

また、天守は現存しているため当時の素晴らしい技術を見ることができます。

道後温泉



道後温泉本館(道後温泉公式HPより)

3000年以上昔(縄文時代中期ごろ)から温泉として利用され、日本最古の歴史を持っています。

また、日本三古湯として兵庫の「有馬温泉」・和歌山の「白浜温泉」と並んで選ばれています。

さらに、夏目漱石の「坊っちゃん」のモデルともなっています。

 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪かんしゃくに障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田すみたと云う所へ行って団子だんごを食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓ゆうかくがある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰だれも知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿さら七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払はらった。どうも厄介やっかいな奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭あかてぬぐいと云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極きめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及およばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛でかける。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染そまった上へ、赤い縞しまが流れ出したのでちょっと見ると紅色べにいろに見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣ゆかたをかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目てんもくへ茶を載のせて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢ぜいたくだと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺ゆつぼは花崗石みかげいしを畳たたみ上げて、十五畳敷じょうじきぐらいの広さに仕切ってある。大抵たいていは十三四人漬つかってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快ゆかいだ。おれは人の居ないのを見済みすましては十五畳の湯壺を泳ぎ巡まわって喜んでいた。ところがある日三階から威勢いせいよく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗のぞいてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼はりつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札はりふだはおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚おどろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵たんていしているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。

夏目漱石「坊っちゃん」
青空文庫HPより
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html

坊っちゃん列車ミュージアム

1号機関車原寸大レプリカ

夏目漱石が坊っちゃんの中でマッチ箱のような汽車と表現した機関車です。
現在は伊予鉄グループによって展示・紹介されています。

松山市駅からスグでアクセスも良好です。

大観覧車くるりん

大観覧車くるりん

松山市駅に隣接しているいよてつ髙島屋の屋上にあります。
直径45m・地上からの最高点85m・乗車時間およそ15分となっています。

これに乗れば松山市内を一望できます。

道後ぎやまんガラスミュージアム

道後ぎやまんガラスミュージアム

道後温泉にあるガラスの美術館です。江戸時代・明治時代・大正時代のぎやまん(ヨーロッパのカットガラスのことです。)・びいどろ(和硝子の中でも鉛ガラスを原料としたものです。)、和ガラス作品が展示されています。

温泉街との対比がなされ不思議で幻想的な空間となっています。

子規堂

正岡子規が幼少期〜青年期に過ごした建物が復元されています。
正宗寺の境内にあり、高浜虚子の筆塚、正岡家のお墓があります。

子規記念博物館

文字通り正岡子規の展示物が多数展示され、子規の世界に入り込めます。
現在7万を超える作品が貯蔵されています。

城北エリア

一草庵

俳人:種田山頭火の晩年の住居です。
赤十字病院前駅から徒歩10分程度とアクセスしやすい場所となっています。

寺町

江戸時代に北部の守りとして存在した御幸寺など合計12個の寺が集まって形成された地域です。

城東エリア

五明川

ホテルがよく見えます。
年に1回ホタルに関する祭りが行われ、伝統芸能も披露されます。

北条エリア

島しょ部エリア

北条鹿島

島が国立公園となっていて自然豊かです。
鹿島神社があり、神功皇后(14代天皇・仲哀天皇の皇后)が朝鮮出陣の際に祈願したと言われています。
高浜虚子らがここの風景をもとに歌を歌っています。
その他の島も自然豊かで眺めが抜群です。

〇神社仏閣

岩手寺

四国八十八ヶ所霊場の51番目の寺です。
子宝と健康祈願を祈り、1300年以上の歴史を持っています。
マントラ洞窟もあり様々な見どころがあります。

伊佐爾波神社

京都の石清水八幡宮を模した八幡造が使われています。
この八幡造はここに大分の宇佐神宮を加えた3例しかない珍しいものとなっています。

〇最後に

現地を見に行ってよりアップデートした観光地紹介をします!!
乞うご期待です。

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