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らない習慣。

何かと怒る人もいれば、いつも平穏な人もいますよね。

自分自身や他人に対して不公平な扱いを受けたり、損害を被ったりすると、怒りや恨みの感情が湧き上がることがあります。これらの感情は、個人の感じ方や価値観によっても大きく異なる場合がありますが…。

一般的な話をしますと、怒りや恨みは自己防衛のメカニズムとしても機能することがありますよね。他人の行動や言葉によって傷つけられたり、侵害されたりすると、怒りや恨みを抱くことで自己を守ろうとする場合です。世の中には、実際に受け入れがたい「怒り」とうものも存在しますからね。また、モベーションの向上に繋がる場合は、まるで否定はしません。例えば格闘技の試合前に怒りを試合に向けて「転換」させてたりして奮い立たせたりしますよね。「エンタメ怒り」と言いましょう。この言葉が育ってくれることを、どうでもよく祈っておきます。

…あ、すいません。嫁がなんか言っています。
「はーい、わかりました。ちょっと待っててー」

話が折れてすいません…。しかしながら、一般的な怒りや恨みが「習慣化」することは、決して望ましいとは思わないのですね。これらのネガな感情は、どう考えても自動的に蓄積さるれる場合が多いように見受けられます。そういった感情は、実際にストレスとなって心身の健康に悪影響を与える可能性があると言われていますからね。まずは、精神的な負担が暗に大きいと思うのですね。ストレスが蓄積されると鬱の症状になったりします。カッとして、その怒りが治まった後に自己嫌悪に陥り、さらに鬱状態を悪化させたりしますからね。まさに負のスパイラルです。話のレベルを上げると「マクロ」から「ミクロ」の世界なんです。その話は、いつかしましょう。

あ、あ、すいません。また嫁がなんか言っています。
「ごめん、ごめん。もう少しで終わるから」

えっと、どこまで…。はい。話の続きですが、、、また、怒りをも持つことは、いつしか、それが恒常化してしまってしまいます。そうでなくとも「怒りに触れる凛線」がわからず、周囲の人も戸惑ってしまいます。これでは周りとのコミュニケーションに明らかに支障をきたすことになります。つまりは、人間関係を安易に壊しやすいという側面もありますからね。

最近、一部で話題になっている、ストレスホルモンである「コルチゾール」というものがあります。これは、ストレスを感じたときに、それに対抗するように分泌量が増えるホルモンのことです。これが例えば、自分自身に対するストレスであればまだしもとは思いますが。他人からの怒りを受けて、「コルチゾール」が過剰に分泌されたりすると、副腎が疲れて必要なタイミングで分泌ができなくなったりして、やがてストレスに対処できなくなってしまいます。

ここまで書いておいて言うのもなんですが、私は、そういった理論的なこととは疎遠です。元々、他人に対して無闇に怒ったりはしません。実際に、例えば夫婦喧嘩で怒りをぶつけあったところで何の解決にもならないと思うんです。めんどくさがらすに話し合えばいいんですよね。それでも納得がいかず、内心は「イラっ」としたとしても、いよいよ怒らなきゃいけないなんて思わない方がいいと思うんです。結局は双方にしこりが残るだけで、何の意味もないですから。要するに、機械的であろうが、謝っときゃ良いんですね。

そういうわけで、「日常生活」で怒って得することって、ほとんどないんですよね。ですから、私は「怒らない習慣」を心がけています。

「ごめん、ごめん。書き終わったけど何?」
「ゴミ出しに行ってって言おうと思ってたのよ!」

「あー、ごめんなさいっ。でも、そんな怒っちゃダメだよ」
「あなたが、怒らせているんじゃないの!」

「ごめんねー、ごめんねー笑」
「てめえ!」

#わたしの習慣

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