見出し画像

気持ちの悪い、けれど美しい本音と理想。

パートナー、友達、家族、同僚、上司、部下。

人それぞれ、人付き合いと言うものが存在しているだろう。
家ではパートナーや家族が居て、通勤途中よく話すレジの店員さん。
出勤すれば小言をぐちぐち言う上司、慣れないながら頑張っている部下。
退勤後よく呑みに行く、同僚や友達。

人それぞれ違う環境で過ごしているのに、どこかシンパシーを感じたり深くのめりこめる部分があったりする。

でも、時と場合によれば

家では、家族が殴り合いの喧嘩。スペック争いする兄弟。
通勤途中のあおり運転、余裕のないクソ野郎。
出勤すれば、落とし合いのノルマ競争。パワハラ、セクハラ、ハラハラ、モラハラ。
退勤後、行きつけのお客さんの酒気帯び運転の事故。

めんどくせぇ〜。

小さい頃から私は、一人をこよなく愛し、一人の時間を大切にして来た。
それは誰かを守るためでもあったからだ。
人といるとつい混乱し、人を傷つけてしまう。
そして、人といるときに生まれる暗黙の了解や冗談、雰囲気。全部が面白くなくて嫌いだった。
面倒くさいし、理解できない。
自分のこともままならないのに、誰かと共にすると言うのはできない。
今もずっとだ。
それを精神医学は、発達障害と呼ぶらしい。

私は、ただ深い浅いじゃなくて人それぞれの付き合い方ということ理解してほしい。
毎日あって居ないと嫌だ。と言う人はそれを深い関係と呼ぶかもしれないが私は違う。
毎日あっていると嫌になる、傷つくし傷をつける。程よい距離感が欲しい。それを浅いと呼ぶ人もいる。

とにかく自由で居たい。

今もそう、一人になりたいけれどそれを申すと機嫌を悪くされるのがもっと面倒だから我慢する。
でもいつまで持つんだろう。そう言うのって。
いつか我慢の限界がくるだろうし、お互い距離が遠くなる一方だ。
そのうち破局して終わる。

破局したいのか?ちがう。破局したくないがために今我慢するんだろうけれども、結果は破局に変わりない。
片方の我慢だけと言うのも破局への近道だし、双方の耐え忍ぶ方法のズレがあると意味ないのかも。

仮に、不満に思っていることを本人に伝えたらどうなるんだろう。
私が伝えると、私の説明が悪いと言われ聞いてくれないだろう。
どんな方法を選べば、よりよく伝わるのか?毎度模索しているが目処が立たない。
逆にパートナーが私へ不満を申し出たら、私は極端に全てを我慢せざるを得ないだろう。
少しでも羽目を外すと、パートナーは怪訝そうに私に接する。
何が悪かったのか、何が不満にさせるようなことだったのか。毎回当てはめられない。

シンプルに価値観や今までの境遇。感覚が全て違う。
双方我慢をたくさんしなきゃいけないところがある。
そして、押し付けされるのが嫌なのにされてしまう現状がある。

金銭感覚も、経済力も、知的能力も、感情指数も、性別も、体格も
力も、モラルも、マイノリティーも、パーソナリティーも。
何から何まで違う。
その違いで、辛くなること毎日ある。

だからこそ、結婚はしたくてもできない。
あって居ないし合わせる気なんてないだろうな。と思う。
と言うより、合わせられないだろう。

なぜ今そのまま、付き合えるのか?

私はとにかく今は自立や自活できる状態にしたい。
それをできるためにそこに居させていただいている。
利用している。と言われたらもう何も言えないくらいだ。

ただ、そこにシンプルな恋愛感情で好意を持つ者と共に過ごしている。がプラスされるとモチベーションが上がる。
だから、一緒に過ごしている。

今は、そのモチベーションを崩し壊す存在ではあるけれど
それはそれでうまく自活するための訓練所に居ている一般人の一人だと思って、うまく回避しているつもりだ。

時たま、愚痴や弱音を吐いてしまう。
そんなとき誰にでもある、人間だからこそ出るものだ。
それを否定する権限は誰にもない。
むしろそれをしている人ほど、恥ずかしいと思える何かがあるだろうし
ろくな人生歩んでない。可哀想と揶揄される存在
なのだ。ダセェの。

パートナーに対してしっかり思っている。いろんな意味で。
犯罪歴を重ねていることを武勇伝かのように話すその姿は滑稽でしかないし、一緒に居ている自分もそう思われるんだろうなと思うと直すか別れるかどっちかにしたいと思う。
人に対して、無駄に大口を叩くその姿はとてもとても可哀想で仕方がない
虚勢や弱い者いじめをしているようで、本当にただの雑魚にしか見えない。

けどそれと同等、それ以上に好きと思える部分もある。
人をも動かすその行動力と、極端な思考。
人に対して接することへの不器用さ、それを全力でアピールできるところ。

私は、どちらもしてこなかった。パートナーより雑魚なのだ。
人のことが嫌いだ、家族も薄っぺらい者だと思うほどの存在だった。
友達と呼べる者は誰一人居なかった。
裏切られることの辛さを知って裏切られないように人との関係を切って、遮断し続けてきた。
人は、裏切る者だし。人は、浅はかだし。人は、嫌い。
人付き合いの方法を知らない自分にイライラするパートナーもわからなくもない。
時たま、非人道的の発言を私もしてしまう。
傷つける言葉を漏らしてしまうし、距離感がずっとわからない。

理想としては、理解してもらわなければ理解することができない。
先にしてもらうのが普通とかそう言う話ではなくて、ちゃんと私のことを理解してもらわないと大切なあなたの言葉も理解することができないくらい難しいと言うことだ。

本当にいつもいつも何年も申し訳ないと思っている。

『なんでアンタは人のこと殴るの!!!』と怒られたら

『え、手で殴った。』と答えてしまうほどズレている。

単純に、Why?で聞かれているのかWhat?で聞かれているのかわからない。
それは方言や日本語の難しさもあるかもしれない。
けれど結構一般的で使われている日本語では正しく答えることが難しかったりする。

それは言葉だけではない。
周りの環境に、一定数の音域が雑多に入り混じっている状態だと
うまく声や音声を聞き取ることができなかったりする。

そんなときも小さい頃からあったのにうまく言葉で説明することができなくて『無視した』として怒られたり嫌われたりしたことがある。

日常にいろいろな行動があるけれどそこにも意外と難しいところがあったりする。
ルーティンとしている順番が狂ってしまったとき、感覚が違ったとき、時間がずれ込んでしまったとき。
全てにおいて、パニックとなる要因がたくさんある

それを理解してもらえないとどうしても聞きたいことも知りたいこともなにもかも失ってしまう。

その段階を踏むのもとても面倒臭い。
順序を守ってもらわないといけないこの自分の無能さにも腹がたつ。
わからない能に腹がたつ。

生まれ持ったモノを一生恨み続けて生きていかなければならないのか?

それをやめさせてくれる人が、私の唯一の理想であり本心の願望だ。


今のパートナーにはできない。
余裕がないのがひしひしと伝わってくる。やったこともない経験したこともない、持って生まれてくるはずだったものを今更ながらに探すことはとてもとても難しいけれど、それをさせてもらえているときなのかもしれないと自分をポジティブに捉えさせて過ごしている。

我慢の限界や、体力、心情の限界はいつかくると思う。

そのときにパートナーはどうするのか、とても楽しみにしている。
ある意味これは腹黒い性格のもとで生まれている感情や思考なのかもしれないが、共に生きていくつもりなら見せて欲しいと女心や人として本心思っている。

私は、ないモノも多いし、持ちすぎたところも多い。
だからこそ、苦労はかけてしまうかもだけど誰よりも面白い時間や体験を遺せるよ、と無理にでも励まして生きて居ます。

こんな自分も悪くないですね。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いいたします!サポート頂いた分は何かしらNoteに役立てれる様にいたします。