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明治と昭和の軍人の違い

 日露戦争と第二次世界大戦。この2つの戦争で大きく違うのは、結果と時代です。
 日露戦争は日本が勝利して、第二次世界大戦は敗戦しました。
 日露戦争は明治期に起きて、第二次世界大戦は昭和期です。

 ずっとこの2つの戦争の結果が違うのは、どうしてなのか気になっていましたが、最近になって分かったことがあります。

 それは「明治と昭和の軍人の違い」です。

 明治の軍人は、武士階級の出身者が多数であったことが昭和の軍人との大きな違いです。
 武士といえば戦いのイメージがありますが、江戸時代には幕府の役人やお奉行さまなど、支配者としての側面が強くなりました。それが幕末まで続くことになります。
 武士は元々は戦いを生業としていましたので、剣術を始めとした武術や乗馬などを修めていましたが、それだけではありません。論語や詩経といった四書五経や漢籍、俳句や和歌、書道といった人文学的な学問領域も修めていました。
 これは江戸時代からのことではなく、知る限りでは戦国時代から続いています。織田信長は茶道を好んでいましたし、武田信玄は孫子の兵法を愛読して、風林火山と書いたのぼり旗を使用していました。孫子の兵法には「用間編」というスパイについて解説した章があり、スパイの重要性が解かれています。孫子の兵法は、日本では奈良時代に伝来し、その後は江戸時代に至るまで受容され、注釈書が書かれるなど研究が脈々と続いてきました。
 明治期の軍人は、そうした教育を当然のように受けてきた武士階級の出身者が多数派でした。
 武官であると同時に文官でもあったのです。

 だからこそ、日露戦争では明石元二郎がロシアでスパイ工作をしてロシアの情報を日本に伝え、戦局が日本有利になるようにできた。さらにポーツマス条約で日本に有利な講和を結んで戦争を終結させられた。

 しかし、これが昭和の第二次世界大戦となると変わってきます。

 武士階級の出身者はいなくなり、陸軍士官学校で軍事専門教育を受けて育った生え抜きの軍人が多数派になります。
 そこではスパイ工作などを「軍人らしからぬ行為」として軽視し、精神論が重視されたことで、インテリジェンス活動は衰退してしまいます。
 後にスパイ工作の重要性を再認識したことで、陸軍中野学校が設立されますが、時すでに遅しでした。アメリカは第二次世界大戦に突入する20年以上も前から日本に関する情報は収集していました。対する日本はアメリカについての情報は少なく、スパイ工作もお粗末なものでした。
 その結果が、悲惨な敗戦であったことは言うまでもありません。

 武士のような、軍事と人文の両方を修めた文武両道の人材が明治期にはたくさんいたのに、昭和にはそれぞれ専門化されたことでそうした人材がいなくなった。

 これが「明治と昭和の軍人の違い」だと思います。

 参考文献
 江戸時代、『論語』は必要な教養だった(國學院大學)

 『知の教室(佐藤勝 著)』文春文庫

 『面白いほどよくわかる孫子の兵法(杉之尾宜生 著)』日本文芸社


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