見出し画像

文章は地図のように

コンテンツ(contents)の語源をたどってみると、「満たす」「満足を与える」を指す古フランス語に行きあたります。

創作文にせよ実用文にせよ、読み手の気持ちを満たすこと。それが文章の価値ならば、地図は「粘り強く心配すべきだが、解決までは代行し得ない」と。

コンテンツの限界内にとどまる他ない事実を物語るように思えてなりません。


薬ってほんとうに便利で、生活に不可欠ですよね。最近まで、理想的な文章は「薬」のようなものだろう、と思っていました。

  • 簡単に手に入る

  • すぐに解決できる

  • 効果抜群

なるほど…。

たとえば、ダイエット法の理想的な解説文を想像してみます。

  • 無料

  • 5分で読める

  • 30日で7kg痩せる

たしかに、こんな文章があれば大人気。

ですが、「怪しさ」「危うさ」「虚しさ」といった感覚が否めない方も、少なくないように思います。

この記事の趣旨は、「文章は方角を示すにとどまるしかなく、歩みを重ねるのは読み手の役割だ」というものです。

文章は案内役のように

思うに、文章あるいはコンテンツ一般の役割は、案内役ではないでしょうか。教えるより、方角を示す。説得より、納得。といったイメージです。

その意味で、文章は地図に似ています。

そもそも、

  • 薬のような言葉

  • 絶大な影響力をもつ文章

といったものをつくるのは、不可能。なにより影響力が強すぎるものは、薬であれ文章であれ危険。

副作用をあなどってはいけません。

同様に、「行動をかえる」「手取り足取り教える」というのは、読み手の役割を侵食しんしょくしかねない。

まず何よりも害をなすなかれ

ヒポクラテス(古代ギリシャの医師、聖医・医学の父)

ところが、「こころを動かす文章」「共感ライティング」…と。世間には様々なテクニックが流布るふしています。

そこには、政治家の詭弁きべんのような虚しさが、どうしても付きまとうように思うのです。

地図はさりげなく語る

道に迷ったとき、地図は一瞬で分かるかたちで、正確な方角をさりげなく教えてくれます。

辞書も同じ。

英語では、「辞書を引く」を

”consulting a dictionary”
(辞書に相談する)

と表現しますね。

地図と辞書の共通項。それは、いつも座右にひかえ、困ったとき「良き相談相手」「良き案内人」として、自身の役割をこえない点。

別の言葉でいえば、

代行できないことは、代行しない

というスタンスこそ、地図・辞書の魅力です。


辞は達せんのみ

「じはたっせんのみ」と読みます。

は、辞書の「辞」で、言葉という意味。

おそらくですが、孔子は他人を操るような下心から、いたずらに脚色すること。つまり、厚化粧を戒める意図で、「辞は達せんのみ」と書き残したように感じます。

そう解釈すれば、「こころを動かす文章」「共感ライティング」というのも、あながち虚しいだけではない。

厚化粧は逆効果。けれども、ナチュラルメイクは悪くない。裸で歩くわけにもいかない。そんなふうに考えることもできましょう。


言葉を尽くしても「方角を示す」より先の解決は叶わない

つまり、

辞書や地図のように座右に寄り添い、つまづいたら手を差し伸べ、良き案内役となる。それ以上でも以下でもない。

文章やコンテンツの役割は、あくまで方角を示す程度のものであって、それ以上の野心を抱くと、他の誰でもなく「書き手」がしんどくなる。

「読まれる文章」をめぐって思い悩むのは、不可能を可能にする態度。つまり、不自然な試みだからです。下心は、かならず違和感をともないます。

どんな悩みに寄り添うにせよ、読み手は自分で勝手に助かるもの。助けて助けられるほど、言葉は万能ではないのです。

人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている

ヒポクラテス(古代ギリシャの医師、聖医・医学の父)


まとめ:祈願すれど代行せず

ですから、文章は地図のように書くのがいい。というのが、私の意見です。

「じゃあ、地図のように書くには?」っていうのは、さっぱりわからないんですけどね笑

唯一確実なのは、地図や辞書には、薬のように解決を代行する意図もなければ、こころを動かそうとする野心もない。

にもかかわらず頼もしい、という事実に尽きます。






この記事が参加している募集

noteの書き方

いただいたサポートは、よりよい教育情報の発信に使わせて頂きます!