文章は地図のように
薬ってほんとうに便利で、生活に不可欠ですよね。最近まで、理想的な文章は「薬」のようなものだろう、と思っていました。
簡単に手に入る
すぐに解決できる
効果抜群
なるほど…。
たとえば、ダイエット法の理想的な解説文を想像してみます。
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たしかに、こんな文章があれば大人気。
ですが、「怪しさ」「危うさ」「虚しさ」といった感覚が否めない方も、少なくないように思います。
この記事の趣旨は、「文章は方角を示すにとどまるしかなく、歩みを重ねるのは読み手の役割だ」というものです。
文章は案内役のように
思うに、文章あるいはコンテンツ一般の役割は、案内役ではないでしょうか。教えるより、方角を示す。説得より、納得。といったイメージです。
その意味で、文章は地図に似ています。
そもそも、
薬のような言葉
絶大な影響力をもつ文章
といったものをつくるのは、不可能。なにより影響力が強すぎるものは、薬であれ文章であれ危険。
副作用をあなどってはいけません。
同様に、「行動をかえる」「手取り足取り教える」というのは、読み手の役割を侵食しかねない。
ところが、「こころを動かす文章」「共感ライティング」…と。世間には様々なテクニックが流布しています。
そこには、政治家の詭弁のような虚しさが、どうしても付きまとうように思うのです。
地図はさりげなく語る
道に迷ったとき、地図は一瞬で分かるかたちで、正確な方角をさりげなく教えてくれます。
辞書も同じ。
英語では、「辞書を引く」を
と表現しますね。
地図と辞書の共通項。それは、いつも座右にひかえ、困ったとき「良き相談相手」「良き案内人」として、自身の役割をこえない点。
別の言葉でいえば、
というスタンスこそ、地図・辞書の魅力です。
辞は達せんのみ
「じはたっせんのみ」と読みます。
辞は、辞書の「辞」で、言葉という意味。
おそらくですが、孔子は他人を操るような下心から、いたずらに脚色すること。つまり、厚化粧を戒める意図で、「辞は達せんのみ」と書き残したように感じます。
そう解釈すれば、「こころを動かす文章」「共感ライティング」というのも、あながち虚しいだけではない。
厚化粧は逆効果。けれども、ナチュラルメイクは悪くない。裸で歩くわけにもいかない。そんなふうに考えることもできましょう。
言葉を尽くしても「方角を示す」より先の解決は叶わない
つまり、
文章やコンテンツの役割は、あくまで方角を示す程度のものであって、それ以上の野心を抱くと、他の誰でもなく「書き手」がしんどくなる。
「読まれる文章」をめぐって思い悩むのは、不可能を可能にする態度。つまり、不自然な試みだからです。下心は、かならず違和感をともないます。
どんな悩みに寄り添うにせよ、読み手は自分で勝手に助かるもの。助けて助けられるほど、言葉は万能ではないのです。
まとめ:祈願すれど代行せず
ですから、文章は地図のように書くのがいい。というのが、私の意見です。
「じゃあ、地図のように書くには?」っていうのは、さっぱりわからないんですけどね笑
唯一確実なのは、地図や辞書には、薬のように解決を代行する意図もなければ、こころを動かそうとする野心もない。
にもかかわらず頼もしい、という事実に尽きます。
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