古典100選(30)玉勝間
今日は、江戸時代の国学者である本居宣長(もとおりのりなが)の『玉勝間』(たまがつま)を紹介しよう。
玉勝間は、清少納言の枕草子同様、随筆作品であり、全1005段で構成されている。
その中で、宣長が京都について自分の感想を述べているところがある。
江戸や大坂との比較、田舎と都会の違いにも触れている。
では、原文を読んでみよう。
①世々のもの知り人、また今の世に学問する人なども皆、住み処(か)は、里遠く静かなる山林を住みよく好ましくするさまにのみ言ふなるを、我はいかなるにか、さらにさはおぼえず、ただ人繁く賑ははしき所の好ましくて、さる世離れたる所などは寂しくて、心もしをるるやうにぞおぼゆる。
②さるはまれまれにものして、一夜(ひとよ)旅寝したるなどこそは、めづらかなる方にをかしくもおぼゆれ、さる所に常に住ままほしくは、さらにおぼえずなむ。
③人の心はさまざまなれば、人疎く静かならむ所を住みよくおぼえむもさることにて、まことにさ思はむ人も世にば多かりぬべけれど、また例の作りごとの、漢(から)ぶりの人まねに、さ言ひなして、なべての世の人の心とことなるさまにもてなすたぐひも、中にはありぬべくや。
④かく疑はるるも、おのが俗情(さとびごころ)のならひにこそ。
⑤宣長、享和の初めの年、京にのぼりてありしほど、宿れりし所は、四条の大路の南面の、烏丸の東なる所にぞありけるを、家はやや奥まりてなむありければ、もののけはひ疎かりけれど、朝のほど夕暮れなどには、門に立ち出でつつ見るに、道も広く晴れ晴れしきに、行きかふ人繁く、いと賑ははしきは、田舎に住みなれたる目移し、こよなくて、目醒むる心地なむしける。
⑥京といへど、なべてはかくてしもあらぬを、この四条の大路などは、ことに賑はしくなむありける。
⑦天(あめ)の下、三所(みところ)の大都(おおさと)の中に、江戸大坂は、あまり人の行き来多く、らうがはしきを、よきほどの賑はひにて、よろづの社々寺々など、古へのよしある多く、思ひなし尊く、すべてものきよらに、よろづのこと、雅びたるなど、天の下に住ままほしき里は、さはいへど京をおきて外にはなかりけり。
以上である。
宣長は、①②の文で説明しているとおり、田舎よりは都会のほうが好きだと言っており、旅をして田舎に泊まるぐらいなら良いが、ずっと住んでいたいとは思わないと言っている。
③④の文章の解説は省略するが、⑤⑥では、京都の四条大路について触れている。
四条大路の朝夕の賑やかさや、道も広くて見通しが良いところを宣長は評価している。
そして、最後の⑦では、人の往来が多くてうるさい江戸や大坂と比べてみても、古い寺社などがある京都ほど住みたいと思うところは他にないと結んでいる。
たしかに、あまり人がいないところに住んでも心細いし、ほどほどのにぎわいがあるところで、のんびりと過ごせるほうがよい。
モノやサービスが充実している都会に憧れる人もいるが、やはり騒々しいところよりある程度落ち着いた環境のほうが、ストレスも少なく、精神衛生上も健康に暮らせる。
ちなみに、本居宣長は1730年に生まれ、8代将軍吉宗の時代から、11代将軍家斉の時代まで生き、71才で亡くなった。
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