現代版・徒然草【58】(第15段・旅先での思い)
昔の人が旅をするとき、今のように公共交通機関はなかったわけだから、現代の私たちが新幹線で3時間で行けるところに旅行する場合は、1ヶ月くらい家を留守にする必要があった。
ただ、留守にしている間の頼み事というのは、今も昔も同じである。
庭の植木の水やりだとか家畜(ペット)のお世話だとか、ご近所さんにお願いしたことがある人もいるだろう。
そして、旅行というのは、ふだんとは異なる環境に身を置くことでもあり、ハッと気付かされることも多い。
では、原文を読んでみよう。
①いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。
②そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舎びたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。
③都へ便り求めて文(ふみ)やる、「その事、かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。
④さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。
⑤持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
⑥寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
以上である。
①では、どこへ旅するにしても、目が覚めるような新鮮な気持ちになるものだと言っている。
②では、旅先でそこかしこを見歩いて、田舎や山里などは見慣れないところが多いと言っている。
③では、旅先から(兼好法師が住んでいた)京都にいる人へ手紙を書き、「あれやこれやよろしく頼む」など伝えるのも楽しいと言っている。
④は、旅先ならではこそ、自分の持ち物も含めていろいろと(ふだんとの違いに)注意してみるとよいと言っている。
⑤では、自分が持っている調度類が良いものに見えたり、(都で)才能がある人や容姿が美しい人が、現地の人よりもひときわ立派に思えたりすると言っている。
最後の⑥では、お寺や神社にひそかにこもってみるのも楽しいと言っている。
⑤の文は、田舎蔑視とも受け取れる内容であるが、当時と今は違う時代なので、致し方ないだろう。
逆に、都会に憧れて、良いものを持って暮らしたいという願望はあるだろうし、美容にお金をかけて都会の街を颯爽と歩きたい気持ちは、現代の私たちにだってあるはずである。
いろいろな情報が一点集中で集まる東京にあっては、当然、学びの環境だって田舎以上に整っている。
そのギャップを、旅に出ることで感じているのは、現代でも同じことなのである。
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