読書百遍義自ずからあらわる
小さいときから、「読書百遍義自ずからあらわる」という言葉を何度か聞かされた。
意味については特段深く考えることなく、ただ心のおもむくままに読書に没頭した。
難しい内容の本でも、何度も繰り返し読めば、その本が良書であれば意味がだんだん分かってくるというものである。
この言葉は、中国の歴史書である『魏志』王粛伝に登場する董遇(とうぐう)の言葉からきている。
董遇は、人格的にもすぐれた中国の政治家で、財務大臣になった人である。
ある日、董遇に教えを乞う者がいたが、答えを教えずに、「何百回と読書に励む」ことを勧めた。
そうすると、そんなに読む暇はないと言われたわけだが、董遇は「読書三余」(どくしょさんよ)という言葉を挙げた。
世の中には、三大余暇があって、①冬の季節、②夜の間、③雨降りの日が、読書の時間に充てられるはずだと言ったのである。
なるほど、冬は雪深ければ外出を控えるし、雪がなくても寒くて外に出たくないだろう。
雨降りの日も確かにそうである。
そして、夜の間に読書するのも、テレビやスマホの誘惑に負けなければ可能である。
ベッドで横になって本を読み、そのまま寝落ちしてしまえば、眠れない悩みも吹っ飛ぶ。
1800年前に生きていた人の言葉が、今の時代にもよく当てはまるのは、感慨深いことである。
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