歴史をたどる-小国の宿命(40)

藤原道長の時代は、家系をたどっていくと、道長の姉や道長の娘が天皇に嫁ぐことで、成り立っていることが分かる。

道長の二番目の姉であった藤原詮子は、道長の娘の彰子が結婚した一条天皇の母であった。

道長の一番目の姉は、藤原超子(ちょうし)であるが、こちらも第63代の冷泉天皇と結婚して、子どもを産んでいた。

その子どもは、一条天皇の次に即位した第67代の三条天皇であった。

超子は、道長より12才年上の姉であったが、28才の若さで、つまり、道長が16才のときに亡くなっている。

残念ながら、我が子が即位した姿も見れずに死んだのである。

さて、その三条天皇の后になったのは、道長の二番目の娘、藤原妍子(けんし)である。

妍子は、長女の彰子同様に、世継ぎの皇子を産むことを期待されたが、生まれたのは女の子であった。

当時、皇子の誕生を期待していた道長が不機嫌だったことが、『小右記』(しょうゆうき)に記述されている。

この『小右記』の作者は、道長と同時代に生きた藤原実資(さねすけ)であるが、当代一流の知識人であった。

彼が遺した作品は、道長の時代を詳しく知ることができるので、興味があればご自身で読まれるとよいだろう。





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