現代版・徒然草【4】(第88段・書)

今日も、漢字1字の題として「書」の話を取り上げるが、おもしろい段を紹介しよう。

第88段の原文をみてみよう。

或者(あるもの)、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人「御相伝(ごそうでん)、浮ける事には侍らじなれども四条大納言撰ばれたものを、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

冒頭で登場する「小野道風」と「和漢朗詠集」は、いずれも固有名詞であり、歴史や文学が好きな人はご存じだろう。

ただ、小野道風が和漢朗詠集を書いたというのはあり得ない話だということに気づくだろうか。

「四条大納言撰ばれたものを、道風書かん事、時代や違(たが)ひ侍らん」とある人が答えているように、和漢朗詠集が完成したのは1011年のことであり、小野道風は966年に死没している。

つまり、小野道風が和漢朗詠集を書くというのは不可能なのである。

だが、そこをストレートにウソだと言うのではなく、「御相伝、浮けることには侍らじなれども」と先に断っているところが、ある人の人柄の良さである。

「御相伝」とは、「代々からの言い伝え」という意味であり、兼好法師が生きた時代から見れば、和漢朗詠集は300年前の作品である。

そして、「浮けること」というのは、根拠のないことの意であり、相手を立てて、「代々からの言い伝えであれば、いい加減な話ではないでしょうけど」と前置きしているわけである。

そうすると、言われた本人は、「そうであれば、世にも珍しいものだということだ」と言って、ますます大事にしたという。

この対応が、おもしろい。ふつうであれば、書の名人といわれた小野道風の作品でないことに落胆するはずだからである。

ちなみに、四条大納言とは、藤原公任(きんとう)のことを指し、こちらも有名な人物である。文中に書かれているとおり、和漢朗詠集の撰者である。

根拠を明らかにして人に話をすることは、今も昔も大切なことである。




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