歴史をたどるー小国の宿命(81)
二度の元寇による国家存亡の危機を乗り越え、北条時宗は、次の代に後を託した。
時宗から執権の地位を引き継いだのが、息子の貞時である。
だが、貞時には、大きな難題が待ち受けていた。
このとき、貞時はまだ14才であったが、父の時宗を補佐していた安達泰盛(あだちやすもり)と平頼綱(たいらのよりつな)の存在が政権内部では大きく、実質的には彼らが権力を握っていた。
まず、安達泰盛であるが、時宗との関係を説明すると、平安時代の藤原道長の例が分かりやすいだろう。
安達泰盛の異母妹に、覚山尼(かくさんに)という女性がいたが、覚山尼は、時宗より1つ下であった。
泰盛は、時宗より20歳も年上であり、当時で言えば、親子ほどの年の差であった。
泰盛は、年の離れた自分の妹を時宗に嫁がせることで、外戚関係を築いたのである。これが、道長が自分の娘を天皇に嫁がせるのと同じようなやり方であった。
そして、覚山尼が時宗と結婚して産んだ子どもが、貞時だった。
一方、平頼綱も、時宗の側近であった。頼綱の家系は、姓を見ると平氏かと思われるかもしれないが、伊豆国の出身であり、古くから北条氏の家臣であった。
源頼朝が伊豆国の蛭が小島に流されたとき、当時の有力豪族が北条時政だったことを思い出せば、納得できるだろう。
この頼綱と、安達泰盛の対立が、貞時の執権就任によって、決定的なものになるのである。
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