20世紀の歴史と文学(1946年)

戦争が終わった。

ここから今日まで、日本はずっと平和な時代が続いている。

今年の8月に終戦記念日を迎えたら、丸79年になる。2025年の大阪万博がうまくいったら、80年間続いた平和を世界にアピールするのだろうか。

しかし、本当の意味での平和というのは、スイスみたいに永世中立国であることだが、日本はこれから先もそうはならないだろう。

スイスが永世中立国であるのは有名ではあるが、実は、スイスには自衛のための軍隊があり、国民皆兵制もある。これは、スイスの憲法に定められている。

軍隊の有無は中立の定義には影響しない。要は、他国との交戦権を放棄すればよいのである。

ただ、日本も現憲法には「交戦権の放棄」が謳われているが、アメリカとの安全保障条約が締結されている以上、永世中立国の要件は満たしていない。

ちなみに、ソ連は、戦後1951年と1958年の二度、日本に対して永世中立化を提案している。(日本政府はいずれも拒否した。)

「あのソ連が?」なんて驚いてはダメである。

ソ連にとっては、日本に駐留する米軍が目障りなだけである。

世界地図を改めて眺めてみると、日本がいかにロシアや中国、アメリカよりも小さい国かがよく分かるだろう。

領土拡張の野心を持っている国家権力が存在する以上、大国は大国で世界の覇者を目指して小国を吸収合併しようとする動きがあることは受け入れざるを得ない現実である。

ではなぜ、スイスは永世中立国になり得たのか。

スイスが永世中立国の宣言をしたのは、もう200年前のことであり、1815年にナポレオン戦争が終わったときである。

ナポレオン戦争も、ナポレオンの敗北と失脚によって終わったのだが、このときウィーン会議が開かれて、スイスの永世中立国をヨーロッパ周辺国は承認した。

これも各国の思惑があり、地続きでいつ隣国に攻め入られるか分からない状況の中で、スイスを「緩衝地帯」として位置づけようという考えが働いたのである。

戦後は、1955年にスイスのお隣のオーストリアが永世中立国として宣言し、さらに40年後の1995年には、トルクメニスタンも永世中立国として国連に承認されている。

トルクメニスタンは、カスピ海とカザフスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン、イランに囲まれた国であるが、アフガニスタンやイランの事情を考えれば、この国が永世中立国として認められる理由は、スイスと似たようなものだと気づくだろう。

日本は、スイスやオーストリア、トルクメニスタンと違って、完全な島国である。

島国ゆえに、隣国と地続きになっている国に比べたら、まだ侵略されるリスクは小さい。

だが、軍事基地とりわけ空軍機の離発着の場所としては格好の地理的条件を備えているわけであり、ロシアや中国の領土拡張の動きを警戒するアメリカからすれば、ハワイよりも日本、沖縄が断然良いのは、当然なのである。

そして何よりもアメリカが恐れているのは、ロシアや中国のように、日本が共産化することだったのである。

現に、朝鮮戦争が起こり、北朝鮮は社会主義国に、韓国は資本主義国として分断されてしまった歴史的事実がそれを物語っている。

太平洋戦争の責任を昭和天皇が問われなかったのはなぜなのか、なぜ天皇制は引き続き存続したのか。

それは、共産主義の波に飲み込まれないようにするための「防波堤」代わりだったともいえるだろう。

かくして、アメリカ主導で新しい憲法づくりが進められ、1946年11月3日、現在の日本国憲法が公布されたのである。







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