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しまい波 ー『君たちはどう生きるか』

3日前に図書館で借りたこの本を翌日に返して、『君たちはどう生きるか』を映画館で観てきました。

『ART OF 君たちはどう生きるか』
スタジオジブリ責任編集
徳間書店

2023年7月14日の公開から7ヶ月。今はもう、日比谷の映画館では一日一回の上映ですので、間に合うかどうか、すこしドキドキしながら出掛けました。

スクリーン6は小さな劇場で、3分の1ぐらいの席が埋まっていたのですが、たぶんこんな感じで、ゆるゆると毎日だれかが観にきているのでしょう。年齢層はなんとなく、同じ世代の人が多かったです。


監督の宮崎駿は、昭和16年(1941)生まれですので、母の一つ上です。
この映画の世界は、戦争(たぶん太平洋戦争:1941-1945)が始まって2年目から始まりますので、私の母の視点というよりも、祖母が若かった頃の景色を見るような感覚がします。

それは宮本常一の『忘れられた日本人』にもある景色。
ぎりぎり私たちの世代が幼い頃に体験できた記憶と、祖母と一緒に過ごしたり話したりしていた記憶とを、つなぎ合わせて頭の中で合成した景色。

『忘れられた日本人』
宮本常一
岩波文庫

その景色を、母と同じ世代の人が再現した物語として、こうして見ることができるのだと、暖かい気持ちになっていました。

話の筋よりも、小さな部分に「ああ、そういうことか」と思うことが多くて、キャッチしたことを新鮮な感覚のうちに、書き留めておきたくなります。
「ああ、いいなぁ」と思ったことでも、すぐにすっかり記憶から消え去ってしまうものですから。

青鷺(あおさぎ)
電車に乗って、自然の多く残る場所を通っていると、川原や田んぼに鷺がいるのを見かけることがあります。
でもそれはいつも白い羽ではなくて灰色がかった青い色の羽をしています。

矢絣の着物
戦争をくぐり抜けて残った昭和の古い着物には、不自然に袖が短いものがあります。それは本当に切って短くしていたり、内側に折りたたんで見えないようにして短くしていたり。
「贅沢やお洒落は敵」という空気の中で、短くされてしまったのですが、夏子の着ていたオレンジの矢絣の着物はそんな風ではなかったような気がします。都会と田舎ではそうした感覚も違っていたのかもしれません。


姉妹と兄弟

"死んだ姉"の夫と妹が再婚する。または、"死んだ兄"の妻と弟が再婚する。
というのは、今の感覚ではかなり違和感がありますが、昔はよくあったそうです。
昔といっても60年か70年ぐらい前のこと、姉妹で同じ夫を持つというのは、記紀にはよく出てくるし、天武天皇の妃となった大田皇女と鸕野讚良皇女(持統天皇)も同母の姉妹でした。江戸時代の大店でも「家を守るため」にそういった結婚がなされてきました。

結婚という人類の存続の核心に関して、何千年と続いてきた習わしや感覚がついこないだまであったということは、きっとその他の古代のことも、今とひとつながりで、そんなにかけ離れたことではない。

この映画とは、直接関係はないけれど、最近読んでいるこの本の「時間の幅」が、俄然身近なことに感じられます。

『馬・車輪・言語(上)』
ディビット・W・アンソニー
東郷えりか(訳)
筑摩書房

打ち捨てられた人工物
誰も足を踏み入れることがなくなって、打ち捨てられ、朽ち果ててゆくままになる人工物。苔が生え、草に覆われ、そのうちアスファルトやコンクリートの隙間を狙って木が根を伸ばしてゆく。
実際に東京の空き地も立ち入り禁止のフェンスに囲まれたままになってると、3年であっという間にジャングルみたいになってしまいます。青山練兵場だった地面が150年で今の明治神宮の杜の姿になるのですから、植物の力はゆっくりでタフで力強い。

財務経理担当
エンドロールの背景に選ばれていた「青」はとても美しい青色で、すこし濁った白い手書き(風?)の文字の名前の姿が忘れがたい印象です。
ほとんどが日本人と思われる名前が続いていたのですが、「財務経理担当」という肩書きで10名ほどの名前が流れるのをみて、B/SやP/Lに集約されていく経理処理の実務を不意に思い出して、涙がでてしまいました。

波打ち際
砂浜の波の音を聴きながら、きっと誰もがその人の海を思い出す。
寄せては打ち返す波のリズムは、太古からずっと、そしてどの海でも同じ。
私にとっての波打ち際は、須磨の海だなぁと、スクリーンを観ながら思い出しました。

鎌倉の海


もう一つの世界

川にも池にも海にも世界が映っている。
こんな様子をみたら、水の下や地面の下に別の世界があると思うと思う。


誰にでも初めてがある

人の誰もいない場所に足を踏み入れる。
当たり前だけど、誰にだって「初めて」があって、大人になるまでは初体験の連続だし、大人になっても恐れをなくせば「初めて」はやってくる。
アフリカ大陸を離れた人類の先頭を行った人たちの「初めて」だらけ。
さっき触れた『馬・車輪・言語(上)』に出てくる印欧語族の人たちが、初めてインドに着いたときってどんなのだったのだろう。

『馬・車輪・言語(上)』
ディビット・W・アンソニー
東郷えりか(訳)
筑摩書房
<表紙裏>

命を食べて生きる
映画の中のセリフで「あの人たちは魚を殺さないので、ああして解体されるのを待ってる」というようなことを言っていました。
食事を用意するために私はスーパーに買い物に行きます。本当はそこでは一番大事なことが伏せられていて、「そのこと」を意識しないで済むようになっています。
すべての生き物は他の生き物の命を食べて生きているのですが、人間以外の動物は自分で狩をして(または植物を採って)いるのに、人間だけが分業をしている。
大きな魚の腹を血を浴びながら切り裂いてゆく場面を見ながら、自分で殺すことをせずに誰かが殺した生き物の肉を食べるというのは、卑怯かもしれないと思いました。でも、そうするしか私にはできないので、卑怯であることを引き受けるしかないのです。


しまい波

海が荒れた時、最後にやってくる大きな波のことを「しまい波」と言っていました。そして「このあと穏やかになる」とも言っていました。
「しまい波」の「しまい」は「終い」で「仕舞う」こと。
そうか、物事の終わりに来る大きな波に、ちゃんと名前があるんだと思って急いでメモを取りました。
バブル期のジュリアナのように、あまりに流行り過ぎたモノゴトが急激に忘れ去られて行ったり、線香花火のように、最後に一瞬大きく輝いて消え入ってしまったり。
バブルが頂点を打った後に流行ったジュリアナは「しまい波」だったのです。

「しまい波」を「姉妹波」と聞くと、主人公の二人の母を連想して、それはそれでまた、深みにはまります。

映画の出口
映画を見終わって、「どう生きる」というのは、「どんな大人になる」ということかもしれないと、漫然と思いながら出口に向かいました。

そして主人公には3つの変化がありましたので、このことがきっと大事なこと。

特に3番目については「そうすべきだから」ではなくなった時に、本当の意味での「人間の大人」になるのかもしれない。

・自分の弱さを引き受ける
・友達を作ると決心する
・「お父さんの好きな人」を「夏子お母さん」と呼べる

TOHOシネマズ 日比谷



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