人は期待されていないが愛されている
小学校入学から大学卒業まで、あるスポーツをしていた。
今は有名なスポーツになっているがクラブチームに通い始めたころ(15年ほど前)はマイナースポーツだったような記憶がある。
そのスポーツを始めたきっかけは、野球もサッカーもどこか苦手意識があり(特に理由もないが、たぶんみんなと同じスポーツをしたくなかった。笑)
全然運動しない俺を心配して親が何かないかと探していた時に、たまたま回覧板と一緒に回ってきたチラシをみつけ強引に体験に連れていかれたのが始まりだ。
初めてやるスポーツだが先生たちがこれでもかと褒めてくれた。
今思えば、人を増やしたいクラブチームなのだから当たり前の事だか褒められて良い気になった俺は帰りの車で「絶対入る!!」といったのを覚えている。
それからというもの、試合には負け泣いて、なんか練習に行きたくなくて行きの車でお腹痛いから行かない。と言ったり、先生に褒められたら数週間は頑張ったりと普通の運動を適度に頑張る少年だった。
中学は他のスポーツに浮気をしながらもなんとか続けて、高校は地元のそこまで強くないが小学校から続けてきたスポーツがある高校に進学。経験者もいないことからすぐに主将をやり滅茶苦茶に頑張った。(文を書く人間が滅茶苦茶という表現はいかがなものだとは思うが、、、)
その頑張りが功を奏したのか大学は強豪校に進学。
大学は自分のスタイルとあっていたのか、プロの世界も視野に入れていた。
大学3年生の春、プロのチームから誘いがありもっと頑張ろうと思った。
大学3年生の秋、膝と腰の大怪我。プロの話が無くなった。
大学4年の公式戦は情けでグランドに立ち何の役にも立たなかった。
大学でスポーツを辞めると親に伝えるとき、自分は涙が止まらなかった。
どこかでまだプロになれていつか日本の代表として闘うんだと思っていた。
父親は「誰も期待なんてしとらん」と一言。
母親は「お疲れ様ね」とこちらも一言。
こんなもんかぁと思ったのを今でも覚えている。
今は社会人のチームに助っ人として時間が合えば参加している。
先日、試合があるというので親に「観に来ますか?」と連絡すると、「久しぶりだね楽しみ」と返信があった。
試合は勝てたが、親は試合が終わるとすぐに帰ってしまった。
電話で観に来てくれてありがとね。と伝えると、お父さんが片手にうちわで片手にビール、首からは双眼鏡で楽しんでたよ。と教えてくれた。
色々聞くと、大学でスポーツを辞めると伝えた日から暇さえあれば小学生の時から撮っていた試合をパソコンの前に座りながら何度も見ていたらしい。プロでかっこいいプレーするあいつも見たかったな。と母親には言っていたたとその時知った、自分はそんな言葉を一言も言われたことがないが、きっと父親なりの優しさだったのかなと思う。
人は期待されていないと思うと、新しい道に遠慮なく進める。
きっと息子には縛られず何かを背負って生きてほしくないという思いから
「期待しとらん」って言葉が出たんだろうなと思う。
期待はされていなかったのかもしれないし、期待されてたけど言わない優しさだったのかもしれない。真意は分からないが、試合があれば観に来てくれて、暇さえあれば過去の試合を見る。愛されていると思う。
それだけで十数年の頑張りが報われて次のステージで頑張れる気がする。
今回の文は本当に乱雑で読みにくいかもしれません。
独り言ってスタンスはやめます。
何かを発信するという事は、
受け取る人がいるという事を忘れずに書いていきたいと思います。
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