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京都エッセイ 外伝 デカい穴よ永遠なれ!

 今僕は名古屋にいる。少し前までは京都にいた。大学を卒業してからも二年近く過ごし、約六年間も京都にはお世話になった。

 そんな京都を去ることは寂しかった。胸を引き裂かれる思いというのを体験しながら、自転車を漕いで名古屋まで向かったのを覚えている。体の疲れは取れたが、あれから一週間以上経ったのに心のさみしさはほとんど薄まっていない。

 そのさみしさのど真ん中にあるのが、今回記事にした『デカい穴』という場所である。


 京都の紫野にあった水曜定休のバー。飲み物オンリーな代わりに食べ物は持ち込み可能。隣がスーパーだったので、誰もがそこで、なんなら店主が自分でお菓子やらご飯を買いに行っていた。週3回くらいはイベントが行われていて、そのどれもが本当に自由。研究を発表、臭いものを食べる会、怪談噺をする会などなど、実際に僕もここでライブをさせてもらったり、オープンマイクをさせてもらったり、毎月一回ある短歌会にも足を運んだ。

 ここまでの文章で分かる通り、店主は気さくで暖かい。彼の笑顔を見るだけで、悩んでいたことがどうでも良くなったこともある。つい話しかけたくなってしまう柔らかい空気を纏っていて、バーという雰囲気も相待ってスーツでも着てればホストと見紛うのではないかというくらいの、適切な距離感から一歩歩み寄ってくれている感覚。

 この『デカい穴』はそんな店主に魅せられて集まっている人が多いような気がする。店主さんが素晴らしいことで、やってくるお客さんも素敵な方たちばかりだった。

 個人的に辛い経験、地を這いつくばってきたような人々だと話しやすいというのがあるが、『デカい穴』で出会った人々はほとんどがそういった方たちだった。

 映画や写真、音楽やラップ、イベントや不登校支援、朗読で配信している人もいれば、理系の研究者もいた。かくいう自分も物書き志望。クリエイティブな人たちとたくさん出会わせていただいた。

 彼らの中の穴に入って話したり、こちらの穴に触れていただいたり。必要なことだけで構成された社会の中で息継ぎできる唯一の場所。オアシスでも言おうか。

 オアシスで思い出したが、店内には趣味のいい音楽がよく流れていた。

 誰とも話せなくてもその音楽に耳を傾け、本を読む人やタバコを吸う人がいて、誰しもが自分をゆっくりさせていた。初めての人には店主が話しかけてくれ、趣味が合う人がいれば店長が店内でいる人にブッキングして話せる空気を作ってくれる。

 店内は三つの島に別れている。
 トイレ近くの四人席ではボードゲームや、すでに出来上がっているグループが話す場所。
 カウンターはその日の出会いを求めている人や店主と話したい人、一人でいたい人などが雑多にいる。たまにカップルや連れがいる人も並ぶので本当に雑多。
 奥のコの字型になっているソファ席ではイベントが行われている以外は上記の二つを併せ持った要素のある席になっている。

 店長が気を配ってくれるおかげで、どこの島にいても、楽しめるようになっているのが良かった。

 誰しもが楽しめるバーはまるでゲームの集会所みたいで、いつも帰りたくなかった。やがてやってくる帰り道のさみしさはそのまま『デカい穴』がなくなることと似ていた。

 『デカい穴』はなくなることで、誰しもの胸の中にふさがらない穴を作ってしまったのだ。とんだタイトル回収である。

 いろんな人に出会い、いろんな話をした。いろんな発見があって、それらは生活に組み込まれたり、その場だけで煙のように消えてしまったものもある。

 それでいいんだと思える。心を座らせることのできる素晴らしい空間だった。

 そんな『デカい穴』が閉店。それが京都を去ることを後押ししたのかもしれない。

 20年以上生きてきて、別れがつらくさみしいことを体感的に知ったのは京都がはじめてだ。自分がさみしがり屋なのも京都で知った。京都で出会った人が、その不在をもって教えてくれた。

 人生には別れがつきものとよく言われる。

『デカい穴』で出会った人たちとまたどこかで会えることをとてもとっても切に願うばかりだ。

 ありがとう、さようなら。またどこかで。

 次会ったときの合言葉は、

「『デカい穴』よ、永遠なれ!」

ps

デカい穴と『光の方へ』

↑はデカい穴で出会った素敵な方の一人の記事

こちらの記事を読んで、

店主カネコアヤノ好きやったんかい!

となりました。

自分も好きだからもっと話したかったです。

店主も作者も名古屋に来た際はご一報をば!

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