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地元エッセイ(13)腐れ縁で暇つぶし相手フレンズ

 地元であまり好かれていなかった。が、癇癪持ちの変わった子とはいえ、友達がいないわけではなかった。休みの日によく遊ぶ子はいた。それは保育園から高校生までずっと変わることのない関係で、友達というよりは腐れ縁に近い。お互いの暇つぶし感覚で会っているところがあった。

 天才肌のK君と、ちょっと喧嘩早いN君だ。お互いの詳しいことは伏せるが、エピソードの中でなんとなくイメージしていってほしい。

 もう一人同級生もいたが、なぜか彼とはあまり遊んだ記憶がない。嫌いだったわけでも苦手だったというわけでもない。一応一番距離が遠いのが彼では合ったが、N君の家の近くといえば近くだから、それが理由ではない気がする。ともかく分からないので触れないでおこう。

 僕たちの遊びや活動範囲、距離感は年齢によって変化していった。

 保育園の頃は、三人とも悪ガキで、イタズラ好きだった。三人で協力することもあれば、一人をターゲットにして残り二人でいたずらにすることもあった。僕も押入れに閉じ込められたことがある。あとは純粋に二人だけでイタズラをしたこともあった。
 とりあえず悪さする三人組だったらしい。

 僕とK君は家が近かったのでよく遊んでいた。家の裏の山や、前の川を走り回ったり、神社やちょっとした丘なんかに行って遊んだ。

 どうやって遊んでいたのか、今では記憶にない。帰省したときに久しぶりに立ち寄ってみても、遊ぶ方法が分からなかった。我ながら、子どもの適応力ないし想像力はすさまじい。

 もちろんそこかしこでイタズラして怒られていた。

 小学校に上がり、自転車に乗れるようになったら三人で遊ぶようになった。川を泳いだり山を登ったり、お互いの家でゲームしたり、あとはどこまで自転車で行けるかみたいな遊びをして、車で行っていたスーパーなんかに自分たちの力で初めて行ったときは大人になれた気がしてうれしかったものだ。

 中学校に上がると、三人で遊ぶことはめっきり減った。部活は三人ともバスケ部だったのだが、帰りは一人で帰ったりすることも少なくなかった。別に仲が悪くなったわけではない。お互いの好きなことが変わったこともなく、相変わらず泳ぎに行くこともあった。

 この頃になるとイタズラもしなくなっていて、ひたすら誰かが新しいゲームを買えばそれをプレイするといった感じで休日を過ごしていた。

 平日は部活があって、家に帰るのが夕飯時だったので放課後に遊ぶなんてことは、部活が試験休みのときくらいだった。家の用事で誰かが来れないときは後輩や先輩ともつるむこともあったし、一人で過ごすこともあった。

 高校生になると、三人ともバラバラになる。バスケを続けたK君と、不良の道に走ったS君、僕はというと色々拗らせてしまって、癇癪持ち兼内向的な性格になってしまった。

 それでも一緒に遊ぶこともあったが、この頃になるとみんな新しい刺激がなくなってきていて暇つぶしの気が強くなっていく。外で遊ぶのは面倒だし、家の中でやれるゲームも飽きてきた。新しいゲームも大体今までの経験で予測できてしまう。

 スマホゲームが勢いを強め始めていた時期で、二人はそれにハマっている様子だったけど、僕はイマイチハマれなくて、一緒には遊ばなかった。

 僕が原付の免許を取って一人で小さな小さな旅をしたり、隣町にいる従兄弟と遊んだりして、時間を過ごしていたように思う。

 高校最後の週、進路が決まり、絶対的にバラバラになることが確実となって、卒業式までの一週間が休みになったとき、僕らは久しぶりに遊んだ。小さい頃に行った場所をK君が免許を取ったことで乗れるようになった車で回る。

 懐かしい記憶や楽しかった記憶はほとんどない。ただ過去に遊んだ気配があって、それが二度と戻らないさみしさがひたすら横たわっていた。二人もそうだったのか、そこまでひとつひとつのエリアでの時間は長くなかった。

 隣町にも行った。ゲームセンターやファストフード、カラオケや本屋。どれも昔は、輝いて見えていたものが、当たり前に変わっていて、むしろ自分たちが進む未来の方が輝いているせいか、みずぼらしくも見えて、やはりさみしかった。

 今彼らはどうしているのだろう。書きながら会いたくなってしまった。彼らとの思い出は胸の中で確かに息づいていて、僕の創作、とりわけ児童文学で登場するキャラクターや田舎の舞台なんかにその片鱗がよく登場する。

 そのたびに懐かしくなるのだ。

 僕がいなくても回る、僕がいない方がいいとすら思う人がいる、そんなど田舎でも、たまには帰りたくなり、こうしてエッセイを書いてしまうのは、彼らと過ごした15年以上が僕の胸の中で確かに息づいているから、としか言いようがない。

 またどこかで。ね。

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