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<無料公開>大学の存在意義について考える。

大学の存在意義に疑問符がついてしまうのは、組織が新陳代謝しない日本の昔からの大企業の衰退と類似しており、大学の教授など含めた人材が一度役職に就任すると降格することはあまりなく、入れ替えがあるものでもない。
そうなると、今の時代に即した研究や教育がおこなうことができないという負の連鎖に陥る。若い世代は役職という枠を求めるが、枠がない。更に少子化により今後経営不振の大学が淘汰されていけばいくほど枠が減る。まさに日本社会の縮図ともいうべきか。
今後大学の統廃合含めブルーオーシャンとなっている部分と若い世代にポストが開かれるような仕組み作りが必要ではないのか。人材の新陳代謝、競争原理、日々の研鑽こそが成長と発展の基本である。
現在大学教授側からは研究に集中ができない、研究費が足りないなど、今の自身の研究の成果の無さを環境に原因を置いている時点で未来はないのではないか。成果を出している人こそ、自身の環境を悪くも言わず、自ら行動し道を切り開き、さらには後身の育成や大学教育自体にもより良い影響と活動を行っているもの。
給与についても実績に応じて変動制にすればいいし、研究費に関しては研究が評価される事でスポンサーがつけば良いという仕組みがあればいい。大学には複数の無能な人材、研究すらまともにおこなっていない人が教授含めたポストにいるのが現実だからこそ、新陳代謝が必要ではないか。

さらにいえば大学の存在意義が高等教育だったり、研究機関というよりも就職予備校となってしまっている学歴社会となっている現状を含めて変える必要もある。本当に今、大学の存在意義自体に疑問符が出ているのではないかと思う。もちろん、大学だけの問題では教育全体を変えることはできないし、日本社会を変えることもできないことも重々わかっているからこそあえて思うことである。

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