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Beyond The Time.|エッセイ


昏い露のような宵だった。

おわりとはじまりの裂け目で眺める空はアヲハタのブルーベリージャムの色をしていた。瓶からジャムをすくい取りぺたぺたと塗り広げたような生々しい空は、青藍でも紺青でも紺碧でもない、この世になまえのない色をしていた。一色ではないまだらが層になり、透き通っているのに深く濃く昏くて艶があった。

コロナの罹患によるもろもろの症状で2日間眠ることすらできなかった7月末の宵のディテールは脆弱ながらも隅々まで玉露のようで、絶佳だった。

わたしは刻々と夜が侵食する空を見ているだけでお腹がいっぱいになった。コロナに罹患してから2日間でプリンとゼリーを服薬のために仕方なく摂っただけで、あとは水とポカリスエットを飲んだくらいだった。にんげんはある程度水分を摂っていれば絶食してもすぐには死なないことを身を持って実感した。

わたしは呼吸をすることさえしんどいのに寝転んだまま窓から望む宵へ向かい視線を遠投し続けた。

すると、ぴょんとねこに引っかかれたような光線が流れた。脳みそがそれを認知する間もなく「あ。」と視覚から声が出た。流星だ、とおもう頃にはその姿はなかった。

刹那の光線は高熱による幻覚だったのかもしれない。わたしは「まぼろしー。」とIKKOさんの口真似をしたら、じぶんの嗄声におどろいた。

なんだか急に悔しくなって「コロナめ。」とつぶやきたかったのに「ごっっめ。」となったので、ちょっと何言ってるかわかんないんですけど、と胸のうちでおもうにとどめた。

その頃には宵は沈み夜が満ちていた。

すると、またぴょんぴょんと流星が過った。わたしはついうれしくなり、ランナーズハイのようなテンションで「あ゛!」と嗄声が出ると、わたしの横で寝ていたねこが「ぬ゛ぬ゛あん。」と鳴いたあとにあくびをしながら「しゃらくせえ。」と言った。

わたしはねこに「つい、ごめん。」と詫びを入れたけど、ざらざらした音だけが部屋に響いただけだった。それでもねこからゴロゴロと賛美歌が聴こえたので、まあわたしの詫びは伝わったのだろう。

わたしはからだを起こして空を仰いだ。夜を泳ぐ数多の星たちは瞬いていた。

全体像を見ると無造作に白点が散らばって見えるけど、よく目を凝らすと白点のひとつひとつがジッとはしていない。光は短い周期で脈動している。宇宙空間を飛び続けてやってきた光はたぶん息切れをしているのだろう。はあはあ言いながら「やっと着いたぜ。」と言っているに違いない。

そして、この光はわたしの考えが及ばない時間を超えてやってきたんだ、とおもうと途方もなくて、脳みそがいっぱいになり怖くてつい咳がひとつ出た。

すると、からだに咳ひとつ分のスペースができて、そこへ映画『マイフレンドフォーエバー』の言葉が落ちてきた。急にパッと脳みそに浮かんだ。もう何年も観ていないのに。

だから、その言葉はおおまかで抜け落ちている部分もあるし霧のように朧気だけど、主人公のエリックの友だちが夜のテントの中で宇宙の話をするところ。もし何億光年先に行ってそこになにもなかったら寒くて暗くて目覚めたときにすごく怖くなる、と伝えるとエリックは、じぶんのスニーカーを友だちに手渡して伝えた。「もし起きて怖いと感じたらこう考えろ。"ちょっと待て、いまエリックの靴を持っている。なんで宇宙の果てでこんなに臭いスニーカーを持っているんだ?あ、そっか、僕はきっと地球にいて安全な寝袋にいる。そして、エリックがそばにいる。"」と。

その言葉は気が遠くなるほどの闇夜が怖くてひとりぼっちな布団のなかで眠れないわたしのお守りになっていたことを思い出した。臭いスニーカーが手元になくてもその言葉さえあれば大丈夫だった。映画のなかの創られた言葉でもわたしの芯に寄り添ってくれた。

ひとにはこころのうちに生える木がある。そして、その枝に留まる言葉がある。それはひとによって違う。ずっと留まる言葉もあれば、羽ばたいていく言葉もあるし、空いた枝に新たに留まる言葉もある。ひとにはときどき鳥のような言葉がそのひとのかたちに合わせて棲んでいるんです。

そんなことを考えていると、左手の甲にふわふわした熱を感じた。それはねこが頭突きをしたものだった。

わたしはねこを優しくなでると、またねこの賛美歌が聴こえた。そして、それに甘えるように身を寄せてねこのなまえを呼んだ。わたしの嗄声はやはりざらざらして言葉にならなかった。それなのにねこは「にゃん。」と返事をしてくれた。

それは、昏い露のような夜だった。





𓇼𓐊𓇼𓐊𓅮𓐊𓇼𓐊𓃠𓐊𓇼𓐊𓇼𓐊𓇼𓐊𓇼𓐊𓅮𓐊𓇼𓐊𓃠𓐊𓇼𓐊𓇼𓐊



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