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虚ろな男の話

ある男がいた。

男は35歳の普通のサラリーマンだった。

男が働いている会社は、そこそこ業績も良くまともな会社だった。

入社してからもう13年が経つが、職場の人間関係も良く、上司も親切だったせいか、転職しようとは思わなかった。

仕事は忙しく残業もあるが、営業職なので仕方がないと思っている。それに、有給休暇を取ろうと思えば、よほどの繁忙期でない限りきちんと取らせてくれるし、ボーナスもちゃんと出る。同年齢のサラリーマンの平均年収よりも収入は少し多いくらいだ。

たまに大学同期の友人との飲み会で他社の話を聞くと、自分は恵まれているんだろうな、と思うこともある。

昨今の不景気により、設備投資を抑える会社が多いため新規契約を取るのは大変だが、仕事なんてそういうものだと割り切ってやっている。もともと営業をやりたかったわけではないが、どんな仕事も自分なりに工夫すれば、それなりに面白さを見出すことは可能だ。

休日になると、特にすることもないのでダラダラとしている。平日に溜まった洗濯物を洗ったり、ゴミ出しや部屋の掃除をしたり、簡単な食事を作ったりする。そして、空いた時間にYouTubeの動画を見たりしているうちに、なんとなく一日が終わるのだ。

彼女でもいればいいのに、と思うこともあるが、どうしても欲しいと思うほどでもない。

何か趣味でも始めてみようかと思うのだが、そこまでやりたいこともない。高校、大学のときに一生懸命だったギターも今では押し入れにしまったままだ。

そんな風に、5日間の仕事、2日間の休日というリズムで1週間が過ぎていく。
そして、その1週間が1か月になり、その1か月が1年になる。

「こうやって年を取って行って、そしていつか死ぬんだろうな。」

男は、その安定的なリズムの中で毎日を過ごしていた。

ある日、男は通勤のため駅のホームでいつもの電車が来るのを待っていた。

駅では男と同じサラリーマン達が、スマホをいじりながらいつもと同じように電車を待っていた。

そうしていると、男が並んでいる列の後ろ側のホームに、いつも通り都心とは逆方向の電車が止まった。

その電車はいつも通りがら空きで、ほとんど人が乗っていなかった。


男は並んでいる列から出ると、そのがら空きの電車の扉の前まで行った。

しばらくすると、

「ドアが閉まります。ご注意ください。」

というアナウンスが聞こえた。

男がそっとその電車に乗り込むと、電車は出発し西へ向かった。

男がその駅に戻ることはなかった。


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