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休日の多分駄文

ロッシーです。

休日は食事、散歩、読書以外には何もしたくないのですが、ふと文章を書きたくなったのでダラダラと書きます。

海辺の砂浜の砂粒ひとつくらいの価値があるかないかくらいの記事だと思いますが、もしお暇ならお付き合いいただければと思います。

平日はバリバリ仕事をして、休日は遊びまくる!という「スケジュール空白恐怖症」の人もいると思いますが、私はそういうタイプではなく、平日は仕事を淡々として、休日も淡々と過ごしたいタイプです。むしろスケジュールが埋まるのが嫌なくらいです。

そんな私はコロナ禍での生活をそれなりに満喫しており、落ち着いた生活ができていました。

と思ったら、あれよあれよという間に感染者数も減少し(それ自体は本当に良いことですが)、社内でも出張や来客案件がポツポツ出始めてきたりと、ソワソワとした雰囲気が出てきました。

まあ、人間というのはやっぱり猿なんだなぁとしみじみ思いますね(サピエンス=「賢い」というのは疑問符がつきますけど)。

会議や会食などの予定を嬉々として入れている人達を見ていると、群れることが本能的に好きなんだなぁと感心します。リモートで群れるのはやっぱり難しいんですよね。ボスザルもリモートだと威厳を示すのが難しいでしょうし。

私は少数派のタイプでそういうのをあまり好まない変異種なのかもしれません。多分、人類の構成上8:2くらいでそういうマイノリティーが存在するようになっているのでしょう。

そんな風に、自分もちょっと変わった猿の一匹として冷静に見ている部分はありますが、自分自身も社会の構成員である以上、周囲の動きに合わせないといけないわけです。

だから、テレワークの頻度も減らし、満員度が増した通勤電車に揺られて出勤しています。

混雑した通勤電車では、皆スマホのウィンドウをじっと見つめていますが、私は電車のウィンドウから見える景色をボーっと見つめて色々ととりとめもないことを考えるのが好きです。

自分のしている仕事は、自分や家族の生活の糧として役立っているのは分かるのですが、社会のために役立っているのだろうか?などと考えることもあります。

利益を会社が得る以上、当然役立っているんだろうなと思う部分もあるのですが、「まあでもウチの製品がなかったらないでそんなに困らないかもな~」なんて思うこともあります。

ただ、世の中が絶対に必要な製品やサービスだけで成り立っているわけではなく、エッセンシャルなものからどうでもよいものまでグラデーションがあるわけです。

だから、あってもなくても良い製品も含めて世の中には必要だし、そういうモノやサービスを提供する会社があることで、そこで働く社員がワイワイと群れて仕事をすることができ、家族を養い、次世代に命をつなげるわけですから、やはりそういうのも大事なんだろうな~などと思うわけです。

ただ、もっともっと大局的に見たら、何にもしないほうが世の中にとっては良いことだって沢山あるのかもしれません。

何をもって世の中にとって良いことなのかというのも難しい話ですが、まあここでは簡単に社会貢献ということにしておきます。

社会貢献というと、何かプラスのことをするのが基本だと思います。つまり新しい価値創造とか付加価値を世の中に提供するということです。

もちろんそれが基本だとは思いますが、プラスになると思ってやっていることが、実はマイナスになっているなんてこともあるでしょう。

であれば、マイナスになるのだから何もしないゼロのほうがむしろ相対的にはプラスになるなんてケースもあるわけです。

社員が全員猛烈に頑張って働きまくって利益を出している会社があるとして、実はその会社のやっていることが結果として地球環境にものすごく悪いのであれば、その会社が存在しないほうがむしろ社会貢献になるなんてこともありそうです。

それを定量的に計測できる手段は現状ではありませんし、そもそも定量化することがほぼ不可能でしょうから、「自分のやっていることは世の中の役に立っている」という幻想を抱きながら仕事をすることができているのかもしれません。

まあ、世の中の役に立っていようが立っていなかろうが、個人のミクロの視点では、人は生きていかなければなりませんし、家族を食わせていかなければならないわけですから、そんなもの関係ないんですけどね。

SDGsが大事だ!といくら言われても、「オレの生活の持続可能性のほうが大事だろ!」と思ってしまうのが人間というものです。

それに、地球環境対策などのビッグイシューを演繹的に解決しようとすると、うまくいかないものです。EUの方々はそういうのが好きなようですが、もともとヨーロッパは哲学や法制度などを見ても、演繹的な発想をするので仕方がない面もあるのでしょうけど。

気候変動対策のため二酸化炭素を減らす目的で自然エネルギーを増やそうとしたら、原材料価格が高騰してインフレになり、庶民の生活が苦しくなってしまう。かたや、資産価格が上昇して富裕層はさらにウハウハ、という昨今の状況を見ると、人為的に何かをしようとするのは本当に難しいものなのだと思いますね。

作為的に何かをしようとするよりも、放っておいたほうが自然となるようになるのかもなぁ~なんて思うこともあります。もちろんその結果特定の人々は被害を受けることになるのでしょうけど、特定の人が被害を受けるのか、それとも薄く広く沢山の人が被害を受けるのかの違いであって、総量としての被害は同じなのかもしれません。

とまあ、結局のところ何が正しくて何が間違っているのかがなかなか分かりにくい時代ですし、そもそも情報源にしても絶対的なものはありませんし、社会が分断どころかシュレッダーのごとく細切れになりやすいのでしょう。

ただ、その時代が問題だとは思っていません。どちらかというと、そういう細切れ思想による社会体制が限度を迎え、「特定の大きな思想に統一しないといけない!」という反動がどこかのタイミングで起こるほうが怖いですね。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」みたいになったら嫌ですから。

さて、明日は衆院選ですね。どこに投票するのか、改めて各党の政策などを調べてみたいと思います。皆さんもぜひ投票はしていただきたいですね。

一票を投じる効果よりも、一票を投じるという行動自体に価値があるということは別の記事で書きました。ぜひご覧ください。↓↓↓

なかなかこじらせ気味な日本社会ですが、なんとか少しでも良い方向になることを祈りながら投票したいと思います。神社で神頼みをしてお賽銭を投げるよりは効果があると思いますよ。

日本も色々な問題を抱えていますが、まあそれは持病のようなものです。どこの国だって一緒で、問題のない国なんてありません。問題の種類とか性質とかが違うだけです。日本だけが暗雲立ち込める希望ゼロの国ではありませんからね。

とりあえず、休日にこうやってどうでもよい記事を書けて、3度の飯が食べられているだけでもめっけものじゃないかと個人的には思っています。

「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまさんの言葉は本当に名言だと思いますよ。

それ以外は、はっきり言えばラーメンのトッピングみたいなものです。海苔とかバターとかコーンとかチャーシューとかと同じ。なくたってラーメンを味わうことはできるでしょう。麺とスープがメインなんだから。

なのに、「オレのラーメンはバリ固、濃い目、油多め、野菜とニンニク増し増しにしたいのに、なんでできないんだよ!」みたいにイライラすると、ラーメン自体が不味くなってしまいます。

「自分の持っているラーメンに満足せず、トッピングに不満を抱く」

そういう人は意外に多いのかもしれませんね。人生はラーメンのように見えやすくも分かりやすくもないですから。

そういう人は、はたから見たら軽いリュックサックを背負っているように見えるのに、本人は米俵でも背負っているかのように見えるものです。捉え方でこうも人生が変わってしまうんだなぁと痛感するところでもあります。

でも、人生ってそんなに背負うものなんてないと思うんですけどね。

病気とかは別ですが、苦しんでいる人って、大抵自分から背負って苦しんでいるように見えます。しかも、そういう人に限ってまた別の荷物を背負おうとするんですよね。どんだけ苦しみたいんだよと。

もともと強いゴリラだったら自然に背負えると思いますが、ゴリラじゃないんだから、無理に背負うのはやめたらいいのになと思います。背負えるように筋トレまで頑張っちゃう人もいますが、どんなに頑張ってプロテイン飲んでも、ゴリラにはなれませんからね。まあそういうのが好きなのはその人の自由なのですが。

背負うことでレベルアップをする部分もあるでしょう。でも、レベルダウンするものもあると思います。善と悪がセットになっているように、何かのレベルアップは必ず何か別の部分のレベルダウンを伴わずにはいられませんから。

そこへ行くと、我が家の愛犬なんて見事に何もしませんからすごいなぁと思います。

食べる、排泄する、散歩する、寝る、遊ぶしかしませんからね。シンプルでホントいいなぁと思います。

そういう存在がいると、ゴチャゴチャと考えて生きている自分というのは一体なんなんだろう?と思わずにはいられません。本当に人間って賢いのだろうか?と。

でも、そういう疑問を持てるということは、それだけ賢いのかもしれません。と思いつつも、「疑問を持てるから賢いのか?」というツッコミも入りますね。最終的には、「で、賢いからなんなんだ?」ということにもなるのでしょう。

足元でスヤスヤ陽だまりの中で気持ちよさそうに寝ている愛犬にとってはどうでもいいことなのでしょうけれど。

さてさて、いつまでも駄文を書き連ねるのもご迷惑でしょうから、ここらで筆をおきたいと思います。

もしも最後まで読んでいただいた方がいたとしたら、多分その人は相当な変わり者だと思います(失礼)。おそらく人類の8:2のうちの2のほうで間違いないと思いますよ。まあ、そういう意味では私と同類なのかもしれませんね(笑)。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Thank you for reading!

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