夢のお話

夢を見ている時は意識がないなんて誰が言ったんでしょうか。

大抵の人は「一日」という言葉を聞いた時に、寝ている間は含めないと思います。
テスト勉強に三日かかったとか、この作品を作るまで二日かかったとか…(本当に24時間×日数の場合もあります)
でももし、その「一日」が睡眠中を含めるとしたら?これは、一日を24時間と定義した場合。
(当たり前のことを文章にしているので、頭がこんがらがりそうですが笑)
「一日」を起床から睡眠までと定義する場合、睡眠から起床まではもう一つの1日になりますよね。
なんか、そう考えただけでワクワクしません?

小学生の頃はよく、夜に授業を受けるってどんな感じだろうと妄想していました。白夜が近いかもしれないですね。
だんだん大人になるに連れて、本当はそれって現実にあって、私たちが夢と認識しているだけ、もしくは忘れてるんじゃないかって思い始めました。
そしてそれが飛躍してどこか違う空間に存在しているんじゃないかとか、違う次元の自分を見てるんじゃないかとか。
これに関しては自分も定義し直す必要があるのであまり深く追求はしませんが…。

記憶は都合のいいようにかきかえられる

この言葉は時に残酷です。
それまで現実だと思っていた幸せな記憶が辛い記憶を信じたくないあまり自分で作り替えたものかもしれない、夢で見たことかもしれない、なんて考えたくないですもんね。

でも、実際に夢か現実かわからないことってあると思います。
私自身、馬鹿でかいバッタなんているわけないのに背中に乗った記憶だとか、飛んでいる飛行船が家にぶつかりそうになった記憶だとか。

現実にありえないことでも、もしかしたらあり得る世界があって、寝ている間はそこで生活しているのかもしれない。
全くのミラーワールドやパラレルワールド、別世界があっていろんな星を回るみたいに飛び歩いているのかもしれない。

そう考えると、「寝る」という動作は他の世界へ行く手段なのかもしれません。
そこで好きな人や芸能人に実際にあっているのだとしたら、故人やファンタジーの生き物たちに会っているのだとしたら。

ここで生まれるのが「何故夢で起きたことが身体に影響しないのか」というもので、アザとかそういうことになりますが、これはおそらく、別世界とこの世界の身体を含めた物質の構成が違うんじゃないかなあと思っています。(中々難しい話になってきたので、そろそろ頭がおかしいんじゃないかって思われそうですが笑)
簡単に言うと、別世界に行ってる自分はこの世界の自分とは違う身体を持っているということです。その世界にいる時にはその世界に合った身体を持っている、もしくは意識だけが飛行しているのではないかと思います。

夢の中で知らない人と時々会うのですが、その方を覚えていないことがほとんどであることは本当に残念なことです。
そこの世界にしかいない人なのか、まだ会ったことがないこちらにもいる人なのかはわかりませんが。

aさんの夢を見たのにaさんは別の夢を見ていた。全く同じ時間にこれが起こったとしたのなら、aさんは2つの世界を同時に意識で旅したことになります。もし自分にこれが起きているとすれば…
キリがなさそうなので、今回はここまでにしておきます。笑

科学には限界がありますが、想像の世界に限界はありません。
乱雑な文章をここまで読んでくださりありがとうございました!
あなたのファンタジーが広がりますように。

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