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関心事:アート、農業、異なる文化や言語 etc. 仏語と韓国語を勉強中 ♥最近は児童文…

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関心事:アート、農業、異なる文化や言語 etc. 仏語と韓国語を勉強中 ♥最近は児童文学をよく読んでいます ☆来年海外へ移住予定

最近の記事

夕焼けを眺める、心の鎧を溶かす

もう理屈をこねるのは止めて、ただただ楽しみたいな。そうだよ、ただ楽しもう!と、ほんのさっき思いました。その決意(?)を忘れないために、そのことをnoteに記しておきます。 自分の心の動きについて、なぜそのように感じるのか知りたくて、(一見)筋が通っているように思考を並べていく、ということをよくします。 理屈っぽいなあ、それは単なる言葉遊びじゃない?と自分で思うこともありますが、心の動きや物事の在り方に対して説明がつくと、あるべき場所にそれらが収まったように感じ、スッキリす

    • 現実の材料を変えてみたら

      「課題に取り組み、それを完了することで成長できる。」そんな信念を手放したら、物事が急激に好転しました。 「外側の世界で起きていることは、全て自分の内面の表われ(現れ)である」というのが、「現実」と呼ばれるこの世界についての、私なりの理解、そして実感です。 なので、好ましくない出来事が起きたときは、そのもととなる感情や考え方が自分にあるということを教えてくれてるんだろうな、と、内面を見つめてみます。そうすると、たいていの場合、自分のちょっとした思考の癖のようなものに気づくの

      • 100%の自分

        「いいから一度、帰ってきなさい」という、電話の向こうの母の言葉。それに従っていなければ、今頃どこで何をしていたのかなあ、とたまに考えることがありました。 母に電話したのはオーストラリアから。オーストラリアは、私が長期滞在した初めての国でした。 生まれ育った日本で感じていた居心地の悪さを、オーストラリアでは全く感じず、このままここで暮らしたら楽しいのでは、と考えていました。 オーストラリアでの生活が1年近く経った頃、滞在を延長したくて、電話で母にそう告げると、「いいから一

        • シンプルに、ありのままに

          私たちは、驚くくらいたくさんの先入観を持っている。その上、先入観から生まれる感情も山ほど抱えている。 何かを見るとき、そのもののありのままの姿を見ていることは、滅多にない。それは物でも、人でも、出来事でも。 何かを目にしたときは、これまでに蓄積してきたデータに瞬時にアクセスし、感情とともに、データを分析している。 そのときに目にしている「もの」を見ているのではなく、過去のデータを眺めている、とも言える。 物も人も出来事も、ありのままの姿をシンプルに見たい。 私の先入

        夕焼けを眺める、心の鎧を溶かす

          そろそろ、素直になろう

          自分の状態を常にチェックする。とても精密な機械を扱っているかのように。 少しでも違和感があるときは、チューニングする。 繊細なお知らせをくれているのに、それを無視して力任せで動かすと、結局、やり直すことになる。 それを知っているのに、ついつい理屈で動いたり、義務感から続けたり。 そして、やり直すどころか、マイナスからのスタートになってしまう。 どちらの声を優先するのか、したいのか。それは明らか。 そろそろ、素直になろう。

          そろそろ、素直になろう

          思考の整理整頓(自己紹介、再び)

          「あれ、考えていたのと違う。」noteを使い始めて、約2週間経っての感想。 noteに幾つか記事をあげたけど、当初考えていた分野とは、異なる内容のものばかり書いている。 noteのアカウントを作ったのは、心を動かされる記事に「スキ」をしたい、というのと、好きなクリエイターさんたちをフォローしておけば、新しい記事や作品がアップされたときにすぐ分かる、というのが理由。 そして、もしかしたら自分も何か書くかも、というのもあった。書こうと思っていたのは、英語が母国語の夫や義家族

          思考の整理整頓(自己紹介、再び)

          誰かのことを嫌いだと思うとき

          誰かのことを嫌いだと思うとき。 それは、その人のことを嫌っているのではなく、自分の中にあるその要素を嫌っている。 その人も含め、世界は自分を映し出す鏡に過ぎない。 だから、いつまでもその人のことを考え続けるのは止めて、自分の中ある、「その要素」を手放そう。 「これはもう要らない」と、吐く息と共に、宇宙の彼方へ返そう。 その空いたスペースには新たな光が流れてくる。 世界は鏡。全ては私。

          誰かのことを嫌いだと思うとき

          「感情」ではなく、「私」を感じる

          私たちは、「感情」を感じることを習慣にしていて、「私」を感じることを忘れている。 あるいは、心の表面にある「感情」に浸り過ぎて、「私」にたどり着けないでいる。 「私」の本質を正確に表すことは難しいけれど、馴染みの言葉を使うなら、それは「温かさ、嬉しさ、喜び、心地よさ、わくわく」。 だから、それ以外のものを感じたときは、「私」ではないものを感じている。 それは「私」が後から身につけたもの。 ロールプレイを楽しむために、それらを覚えて活用してきた。 そして、今、私たち

          「感情」ではなく、「私」を感じる

          繊細な感覚は大切に、些細な事は置き去りに

          些細なことは手放そう。それらに気を注ぐのはやめよう。 これまで気にしてきたこと、きちんとしておこうと思ったこと、こうあって欲しいと思ってきたことなど。 それらはもう、私にとっては重要ではないのに、習慣でそうしているだけ。 自分の在り方、家族の在り方、世界の在り方。 優しい気持ちと愛情は変わらずに。 より高い場所へ登ったら、景色が変わる。 街中での出来事や物は、そこには変わらずあるけれど、郊外の高い丘からは、小さすぎて見えない。 「繊細な感覚は大切に、些細な事は置

          繊細な感覚は大切に、些細な事は置き去りに

          自己紹介、のようなもの

          熱しやすく、冷めやすい。 自分を一言で表すなら、そんな表現が浮かぶ。 熱しているときは、とことん追求する。 例えば、ヨガに夢中だったとき。多くのヨガ好きがそうするように、インドへの長期滞在を繰り返し、ティーチャートレーニングも修了した。 ヨガだけには収まらず、アーユルヴェーダを海外の学校で学んだり、サンスクリット語を勉強したりもした。 幸運にも、ヨガやアーユルヴェーダ、そして瞑想を習いたい、という人達が現れたので、それらのクラスを持ったりもした。 目に見えない世界

          自己紹介、のようなもの

          幸せな瞬間が連なっていく

          この1年ほど心がけているのは、楽しい、あるいは、心地よい気分を自分の基本設定にする、ということ。 「今、自分はどう感じているかな」と、頻繁にチェックして、気分が落ちているようだったら、楽しくなることを投入する。 気分を楽しくするために利用するのは、日常の小さなこと。 お茶をいれたり、チョコレートの欠片を食べたり、窓から空を見上げたり。手軽に気分転換できるものたち。 自分の状態を観察し始めて気がついたのは、家族のちょっとした一言や、目にしたニュースで気分がぐんぐん下がる

          幸せな瞬間が連なっていく