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100%の自分
「いいから一度、帰ってきなさい」という、電話の向こうの母の言葉。それに従っていなければ、今頃どこで何をしていたのかなあ、とたまに考えることがありました。
母に電話したのはオーストラリアから。オーストラリアは、私が長期滞在した初めての国でした。
生まれ育った日本で感じていた居心地の悪さを、オーストラリアでは全く感じず、このままここで暮らしたら楽しいのでは、と考えていました。
オーストラリアでの生活が1年近く経った頃、滞在を延長したくて、電話で母にそう告げると、「いいから一度、帰ってきなさい」と。
親の言うことには従うもの、と信じていた私は、素直に日本に帰国しました。
母の言葉がなかったら、今頃、あのままオーストラリアで伸び伸び暮らしていたのかな、と想像するのは、日本社会に疲れたとき。
「私が今、楽しくない生活を送っているのは、あの時の母のせいだ」とまでは思っていなかったけれど、どこかで母のせいにしていたから、彼女の言葉をいつまでも覚えていたのでしょう。
そしてまた、どうして素直に従ったのだろう、オーストラリアに本当にいたかったのなら、幾らでも手段はあったのに、と過去の自分を責めることもありました。
最近は、「あのままオーストラリアにいたら・・・」と考えることもなくなっていたのですが、ふと、20代の頃のことをnoteに書いてみようかなと思い立ちました。そして、冒頭の母の言葉を書き始めたとき、「目からウロコ」とはこのことか、という体感を伴った気づきが訪れました。
母は「いいから一度、帰ってきなさい」とは言ったけれど、「そのままずっと日本で生活しなさい」とは、一言も言っていないのです。
それを勝手に解釈して、日本に居続けたのは自分。
「帰ってきなさい」という言葉に縛られていたのは自分。
そんな、今思うと当たり前のことに急に気がつき、気がついた途端、それまでそこにあったことにも気づいていなかった覆いが取れ、視界が明るくなり、視野が広がったような感覚を得ました。
そして、「ふふふ」と笑いがこみ上げてきました。「なあーんだ、私、自分で決めていたのね」と。
同時に、力強さを覚えました。私は自分の人生を選ぶ力があるし、選んできたんだ、と。
自分の中心にある軸が太さを増し、自分への信頼感が強くなったのを感じました。
「自分の人生を誰かのせいにするのを止めると、自分がどれだけパワフルな存在なのかを思い出す」
「誰かを赦すのは、その人のためではなく、自分のため。その人に預けていた自分のパワーを取り戻すのだ」
そんな言葉が浮かびます。
オーストラリアから帰国した件について、母を恨んでいた自覚はなかったのですが、今回の「力を取り戻した」感は、とてもはっきりしたものでした。
「私は自分の人生を100%自分の責任のもとに生きているか。小さな部分でも、他者や社会のせいにしていないか」ということを、折に触れチェックしていきたいなあ、と思っています。
100%自分の責任で生きられるようになったとき、私はどれだけパワフルなのかな、と想像しています。
(Photo by Jill Wellington on Pixabay)
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