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シンプルに、ありのままに

私たちは、驚くくらいたくさんの先入観を持っている。その上、先入観から生まれる感情も山ほど抱えている。

何かを見るとき、そのもののありのままの姿を見ていることは、滅多にない。それは物でも、人でも、出来事でも。

何かを目にしたときは、これまでに蓄積してきたデータに瞬時にアクセスし、感情とともに、データを分析している。

そのときに目にしている「もの」を見ているのではなく、過去のデータを眺めている、とも言える。

物も人も出来事も、ありのままの姿をシンプルに見たい。

私の先入観と感情で飾り立てた姿ではなく、そのもののありのままの姿をシンプルに。それは、私自身の姿も含めて。

私がアクセスし得る最も高い場所から、対象物を見る。そうすると、その対象物に付け足した、私の先入観と感情が剥がれ落ちていく。

全ての先入観と感情が剥がれ落ちると、そのものの本来の姿が現れる。

対象物が人の場合、家族、友人、上司と部下などの役割が消えていき、思いがけない姿を見せることもある。

どこまでが私の想像によるものなのか、もしかしたら、全て私の想像にすぎないのかもしれないが、誰かのありのままの姿を知った後、私のその人への想いは確実に変わる。

義務感や罪悪感は消え、怒りも苛立ちもなくなり、個人的な愛情も感じなくなる。

その人の人生という旅路に、私はただ居合わせているのだ、そう気がつく。時には何かしらの約束を交わして。敬意と絶対的な信頼、そして安心感がそこにはある。


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