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現実の材料を変えてみたら

「課題に取り組み、それを完了することで成長できる。」そんな信念を手放したら、物事が急激に好転しました。

「外側の世界で起きていることは、全て自分の内面の表われ(現れ)である」というのが、「現実」と呼ばれるこの世界についての、私なりの理解、そして実感です。

なので、好ましくない出来事が起きたときは、そのもととなる感情や考え方が自分にあるということを教えてくれてるんだろうな、と、内面を見つめてみます。そうすると、たいていの場合、自分のちょっとした思考の癖のようなものに気づくのです。

それは本当に「癖」と呼べるようなもので、自分が心底信じている価値観ではなく、社会や身近な人の影響を受けて、いつの間にか自分もそのように考えるようになった、というもの。

「癖」なので、無意識にそれを採用しがちなのですが、止めようと決めれば止めることもできます。

また、時には、「癖」と呼ぶには根が深すぎる思い込みや、「信念」と呼ぶ方がふさわしい、自分の土台となっているものも発見します。

鏡を見て髪を整えたり、顔色を確認したりするように、外の世界を見て自分の思考癖や思い込みを見つけて内面を調整する、というのをここ何年か、恐らく10年位だと思いますが、してきました。

「自分にはこんな思い込みがあったんだなあ」と、驚くこともあれば、「でもそれって、世の人々ほとんどに共通の価値観じゃない?」というようなものも出てきて、自分の中の宇宙に対面しているようで、なかなか楽しいものです。

ですが、今年に入ってから、「なかなか楽しい」なんて思う余裕がないほどに、自分史上最大の嵐が人生に吹き荒れていました。しかも一つの嵐が去ったかと思うと、次にもっと大きい嵐がやって来る、という状態。

嵐がやって来る度、「内面チェック」をしていたのですが、あまりの辛さに「もう無理、もうこんなのいらない」と。逃げ出すことにしました。

それまでは、「私が取り組むべきことなら、ここで逃げても、いずれ直面することになる」と思って踏ん張ってきたのですが、「どのみち取り組むことになるなら、別にここでなくてもいい、今じゃなくてもいい、もうどうでもいいや」と投げ出すことにしました。

そうしたら、「成長するためには、階段を一つ一つ上がっていくように課題に取り組み完了する必要がある、って私は思っているけれど、別にそんなものないんじゃない?成長とか、課題とか存在しないんじゃない?」という考えが急に浮かんできました。

正確には、そういう考えが急に浮かんできたのではなく、以前読んだそのような内容の文章が急に理解できた、腑に落ちた、といったところでしょうか。

「もうどうでもいいや」と投げ出したことによって、「成長するためには・・・」という思い込みと「私」を繋いでいた力が抜けて、異なる考え方が入り込めるようになったのかもしれません。

そして興味深いのは、「成長とか、課題とか存在しない」という考えに至った途端、それまでの「問題」が噓のように消え去ったのです。そしてそれ以来、嵐も発生していません。

あまりにも突然に事態が好転したので、その内また何かあるんじゃないかと考えなくもないのですが、まあ、そんな風に心配するのも「癖」ですよね、きっと。

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最後に noteに記事を書いたのは、昨年の大晦日でした。嵐が吹き荒れている間は noteに気持ちが向きませんでしたが、空が静かになった今、また何か文章にできたらな、と思っています。

note を開いたのも久しぶりなので、その間に読んでいない、魅力的な記事がたくさん投稿されているであろうことにワクワクしております。一度にたくさんの「スキ」をしている自分が想像できるのですが、どうか引かないでくださいね。数か月分の「スキ」です ^^


(Photo by Jill Wellington on Pixabay)

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