マガジンのカバー画像

短編小説

487
これまでの作品。
運営しているクリエイター

2020年3月の記事一覧

いい人武装

いい人武装

 素直、正直、誠実。小学校の校訓に採用されるような美点をすべて兼ね備えた男だった。
 自分の心に嘘をつかない人間で、何事もはきはきと言い切る男だった。
「今日からこの会社でお世話になります」
 威勢のよい挨拶に、周囲からの形式的な拍手が浴びせられる。彼は今日から社会人だ。
「よろしく頼むよ、新人くん」
 部長から差し出された手を、彼は力強く握り、軽く上下に振った。
「誠心誠意、頑張らせていただきま

もっとみる
暴力的やさしさ

暴力的やさしさ

 吾輩は魚である。名前はまだない。多分、今後も名前など付かないと思う。
 成体になるまでは、人間が「熱帯」と呼ぶ地域の川の中で過ごしていた。卵からかえり、栄養豊富な食事と美しい環境に支えられ、健康的に育った。
 このまま淡水魚として静かに暮らしていくのだろうと思っていた、ある日。人間の捕獲者に捕まった。一緒に暮らしていた他の魚たちのいくらかは食料にされ、いくらかは水族館と呼ばれる施設へ、そして吾輩

もっとみる
逆風

逆風

 今までたくさんの笑いを取ってきた。この体ひとつで。
 なのに最近は、笑ってくれる人がめっきり減ってしまった。原因は何だと思う?そう、時代のせいさ。
 俺の身体は、誰もが見まごうこと無きデブである。誰が見ても間違いなくデブである。初対面の印象を聞かれたら「優しそう」と言われるが、それすなわち、デブ、と言われているのと同じである。デブ特有の包容感が、優しそうに感じさせているのである。まったくもって分

もっとみる
だーれだ?

だーれだ?

「ようこそいらっしゃいました」
「さてさて、私が誰だかわかるかなあ?」
「いちばん初めにようこそって言った人と同じ人だと思う?それとも、別人だと思う?まあ、当然だけど分からないでしょうねえ」
「今、あなたには私たちの区別ができていないはず」
「一人なのか、三人なのか、はたまた五人なのか?」
「会話文ばかりが続いていると、個性が引き立たないので、誰が誰だか分かりませんよね?」
「ふふふ、あなたはずっ

もっとみる
エンターテイメントの逆襲

エンターテイメントの逆襲

 世界中を闇が包んだ。戦争、貧困、疫病、その他エトセトラの災いに、人類は打ちのめされていた。
 人が生きながらえるために必要性の低いものから廃れていった。文芸、アニメ、ドラマなどのエンターテイメントは、みるみる姿を消していった。その分、第一次産業の担い手は重宝された。
 エンターテイメントの未来に危機感を抱いた文化人の一人が、あることを思いつく。そのアイデアはごく一部の人間にのみ共有された。多くの

もっとみる
いいよ、いいよ。

いいよ、いいよ。

 どんな仕事でも引き受ける、それが彼の身上だ。
 モノを頼まれると断れない性格。人がいい。優しい人。周囲からの印象はそんなものだろうと彼は考えていた。しかし彼からすれば、それらがとりえだった。
 周囲の人間は、彼をいいように使った。早く帰りたい日には、彼に仕事を押し付ける。遠い自販機までジュースを買ってきてもらう。周囲からすれば、ただの便利屋だ。いいよいいよと、見境なしになんでも引き受ける。
 彼

もっとみる
友人の結婚

友人の結婚

 人づてに、彼らが結婚するという話を聞いた。
 結婚する新郎新婦は、男の友人であった。同じ大学、同じサークルに所属していて、社会人になってからも月に1度は食事を共にする仲だった。男は、かねてから彼らが恋仲であることは知っていたので、「じきに結ばれるであろう」くらいの予想はしていた。それでも改めて結婚という単語を耳にすると、どこかむずがゆくなった。当人たちほどではないのだろうが。
 友人代表スピーチ

もっとみる
大我慢大会

大我慢大会

 我慢を美徳と考える人間が私を責める。我慢は良くないと思っている私は、我慢を美徳と考える人間の、「もう少し我慢しろ」という説教を、我慢しながら聞いている。(これだから我慢を美徳と考えるヤツは)と内心でつぶやく。
 そんなことがあったと友人に話すと、「俺は今、我慢してお前の話を聞いていたよ」と言われた。いいじゃないか、私は我慢しているのだから。お前が少しくらい我慢するのだって当然じゃないか。そんな想

もっとみる
自信家

自信家

 彼女はきっと、将来有望な小説家だ。ただし、いまだ売れていない。
 彼女は日ごろからマイナーな小説ばかりを読んでいた。担当の編集者は、そのことが彼女の書く小説を、面白くないものにしているのだと思っていた。
 あるとき編集者は、「もっと面白い名著を読まなきゃダメだぞ」と、彼女にアドバイスをした。「そうね」と彼女はすんなり聞き入れ、読んでいた本を閉じた。
 次に編集者が彼女の元を訪れたとき、「今どんな

もっとみる
不自由な楽園

不自由な楽園

 革命家が叫んだ。「僕たちは生まれながらにして自由だ!」と。
 その思想はあまりにも過激だった。人は生まれながらにして自由で、どのような感情を抱こうと、何をしようとされようと、咎められる理由はない、というのだ。彼はありのままであることを良しとした。踊りたいときに踊り、笑いたいときに笑い、泣き叫びたいときに泣き叫ぶことを良しとした。
 それだけを聞けば聞こえが良い。自分の感情を解き放ち、自由に生きる

もっとみる
近未来

近未来

 近未来の世界の住人たちは、みんなナンセンスだ。
 その時代ではあらゆる文化が発展しきっており、人類史上最大の栄華を極めている。しかしながら人の欲求は底知れぬものだ。目が肥え、舌が肥え、耳が肥えきった今でさえ、人々はまだ見ぬ面白いものを求めている。
 あらゆるものは面白くて当然。例えばお笑い芸人のネタは誰もが大笑いするのが当然なほどにクオリティの高いものばかり。それを観賞して、大笑いしながらも「面

もっとみる
ほろ苦い昼休み

ほろ苦い昼休み

 ああ、この仕事、本当に苦しいなあ。いや、正確には、「人付き合い」が苦しい。ただそれだけな気がする。昼休み、そんな憂うつさを孕んだ表情を浮かべながら歩いていると、前の部署の同僚が前方から歩いてきた。そういえば部署異動があってから、彼と長らく話していない。彼が歩いていく先は、僕と同じ自動販売機のようだ。
「どうも。元気ですか」
 彼の方から声をかけてきた。その問いに、無言で手をひらひらとさせて答える

もっとみる
コロナ教

コロナ教

 つい最近、話題の宗教に入ってみた。コロナ教ってやつだ。どんな宗教なのか分かりやす過ぎるほど簡単に説明すると、世界中で流行している新型肺炎を「神が地上に起こした奇跡」とはやし立てる宗教だ。それってやばい団体なんじゃないのかって?ああ、俺も最初はそう思っていたよ。だけど、偏見だけで物事を決めつけちゃあいけないだろ?何事も自分の五感で確かめなくっちゃあ、真相は分からないってのが俺のモットーだ。だから入

もっとみる
プライド売りの男

プライド売りの男

 仕事でヘマをした。原因は、私のプライドが高いことである。
 プライドが高いから、上司や同僚に話を聞いて、仕事を教えてもらうということがなかなかできない。自分が下手に出て教えを乞うのが苦手なのだ。それ故、仕事で行き詰まる、自己判断で動く、思わぬ失敗を招く、ということが多い。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とは言うものの、なかなか難しい。
 この高いプライドを、なんとかすることはできないのだろうか?

もっとみる