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孤独と仲良くした時間が、私の変態性を育てた話

オーストラリアに住んで約7ヶ月。

人間関係を断捨離したこともあって、今、日本人の友達と日常的に深い話をする人は1人、2人くらいしかいない。


圧倒的に日本にいたときより、1人の時間が増えた。
だから1人の時間は無意識に色々なことを考えているし、日本の環境、世間に影響されず、好きなように読書したり勉強したりしている。


そして最近久しぶりの友達と話す機会が何回かあったのだけど、自分の考えていることを話すときに、1人の時間で考えていることが膨大過ぎて相手に伝えるのが一苦労だなと感じた。

でも冷静に考えたときに、それっていつの間にか人とは違う自分の世界が育っていたということではないか?と思ったのだ。

というのも、相手と考えや価値観とかけ離れているから「どのような理由で、どう考えてそう思うのか」を説明しないと、相手は私のその考えや価値観を理解できなかったりする。

それって自分がちゃんと"個"として確立してきたということではないか?と思ったのだけど、どうですか。


例えば、お笑い芸人ピースの又吉さん。ずっと変な人扱いされてきたけど、実際は芥川賞を取れてしまう程の天才である。

天才だから、一周回って人には理解されない部分があるのだ。でも又吉さんは小説にその理解されない部分を淡々と作品に込めることで、その天才性が世間に知れ渡った。

ちょっとコミュニケーションを取ったくらいでは、彼の天才性を理解するのは難しいのだ。なぜならば又吉さんにしかない世界観が、彼の中に壮大に広がっているから。
その世界観を本人以外の人たちに伝える方法は、この時代においてもまだ「言語」しかない。だから伝えるのは難しいし、100%彼の世界観を味わえる人はいないのだ。


ちなみに又吉さんとキングコングの対談が面白かったので、ここに書き残しておこう。

昔は芸人はテレビに出てナンボであった。しかし現在又吉さんは小説、キングコング西野さんは絵本、キングコング梶原さんはYouTuberの活動もしている。

「芸人であるなら、何をやってもそれは芸人。実は自由度が一番高くないといけない。」という話の流れから、

又吉「僕が小説書いて賞を頂いた時に
金屏風の前に座ってるのを見て、
めちゃくちゃ笑ったっていう人もいた。
『何してんのおまえw』って。」 

西野「芥川賞の会見はずっとおもろかった。
あんな芸人いなかった。すごいボケてる。
究極のボケ。小説書いて芥川賞取るとか、
芸人のボケとしては100点満点。」

という話をしていて、私はこの人たちが心の底からかっこいいと思った。好きだと思った。

この人たちは本当に変態だなと感じているのと同時に、尊敬している。



歴史上の偉人たちだって、当時は理解されないけど自分の知りたいこと、面白いことを追求した結果、世界に革命を起こしている。

そしてそんな世界観(=天才性=変態性)は、人間誰しもが持っているものだと思う。

誰にも理解してもらえないことを追求するのが、この世で1番面白い。


さらにその言葉では伝えきれない世界観を、アートや音楽などの作品で表現している大人たちが最高にかっこいい。




私は海外に来てから1人で考えてることがありすぎて、「アウトプットしたい」と思ったこともあり、このnoteを始めた。

そしてその思いをnoteに書くことが習慣化したおかげで、考えを深掘りするレベルが上がったと考えている。


そして、日本の環境にいないおかげで、世間という価値観の影響がほとんどない。

日本にいるときは良い意味でもわるい意味でも「りなって変わってるよね」「面白いよね」と言われることが多かったし、日本の風潮的にみんなと同じように生きる方が生きやすかった。

だから特に若い頃は、自分の"人とは違う部分"を「直したい」と思ってしまっていた部分もあった。

だって人から理解されないのって不安だし、こわい。そして孤独だ。

私のキャラを知っている友達には、むしろ「変わってる」「面白い」で済んでいたからまだよかったのかもしれない。
社会人になってあまり私のことをよく知らない人と出会ったときの反応は、「君めっちゃ面白いね!!」となるか、相手に"引かれる"か、はっきり別れてきた。笑

でも海外で本当の意味の孤独を知って、孤独と仲良くなって、ひと回り強くなれた。
そして人から理解されない部分があっても、それはひょっとしたら喜ぶべきなのではないか?と気付いたのだ。

「人から理解されない部分=人と違う部分=自分の個性じゃないか!」って。

私は人と違うということに劣等感を感じつつも、個性がないことにコンプレックスを感じていた。矛盾しているようだけど、本当は個性を欲していたのだ。


でも最近、冒頭にも書いたように、友達に理解されない部分がいつの間にか自分の中に育っていたことに気が付いた。

そして「世間の影響がない環境×自分の"好き"を深掘りする作業」が、私の変態性(=個性)を育てたのではないかという結論に至った。

嬉しい。
私がどんどん"私"になっていることが。

自分の思いを人に話せば話す程、文章で書けば書く程、自分の変態さが浮き彫りになる。自分でも驚く程だ。


でも人間はみんな変態な部分を必ず持っているよね?
日本人は特にむっつりだし、世間に埋もれて自分で自分自身の変態さに気付いてないだけだよな。

だからみんながその変態さを伸ばしたら、とても面白い世界になるだろうなと考えている。

誰にも理解してもらえないことを、人生をかけて追求していくってロマンだなー。

人に引かれるくらいの方が、ちょうどいいのかもしれない。

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