「私はくそつまらない、普通の人間であるからこそ面白い」という勇気を述べる
自分の客観的で冷静な思考と、ありのままの自分の本心が矛盾して起こった化学反応によって、何かを乗り越えたのちに「新しい自分をつくるエネルギー」ができる。
そしてその化学反応で一緒に生成される産物が、涙だ。
CO2+H2⇄CO+H2Oで一酸化炭素ができるのと同時に、水ができるみたいにさ。
最近何をするにも自分きもいし、ダサいって本心が思ってしまって、頭では「お前、かっこいいぞ。」って言い聞かせてあげるのだけど、結局こらえても後で1人で泣いてしまったりする。
本心と喧嘩して少し新しい自分ができる代わりに、涙が生成されてしまうという仕組みだ。
「お前頑張ってるじゃん」の"頑張ってる"を、どうしても主観的にみてしまって。
こんくらいで頑張ってるとか言い聞かせている自分が嫌になるという、悪循環があったりする。
上司に叱られているときも、頭で成長するために上司の言っていることは正しいから自分がまだまだなのだとは思うのだけど、心はもっと未熟だからついていけない瞬間がある。
なんなら生理前なので、正論とかいう類のものが全てうざくなってくる。
上司の正論にイラついているのではなく、自分がその正論に当てはまろうとしていることが。
自分の本心くらい、大事にしてあげろよって。
正論で成長する部分があるのは確かだけど、とりあえずその叱り役は上司が担ってくれているのだから、自分でその役を買わなくたっていいのだ。
お父さんが叱り役なら、なだめ役のお母さん的な存在も自分の中に必要なのだ。
とりあえずどうしても自分を許せないのなら、自分の理不尽な感情を肯定する勇気を持ってみるなどしてみる。
1人で勇気が持てないのなら、Betty Davisのようなロックとか、GIRLBOSSのような映画を観て、背中を押してもらいにいけばいい。
怒りって、実はすごく強いエネルギーになるのだ。
そして世界にFuckとか言いたくなるくらい、なんかもうどうでも良くなったりして。
そしたらいつの間にか新しい自分になって、もう前に進んでるの。
ロックにのれない人生は、きっとつまらない。
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